加藤紀子の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 加藤紀子 タレント

アイドルグループ「桜っ子クラブさくら組」のメンバーとしてデビューし、バラエティ番組を中心に活躍する加藤紀子さん。
この記事では加藤紀子さんの学歴、経歴、生い立ちや、デビューのきっかけ、結婚歴や夫などについて紹介しています。

加藤紀子の経歴・プロフィール

加藤紀子の経歴・プロフィール

名前   加藤紀子
生年月日 1973年1月30日
出身   三重県
身長   164cm
血液型  B型
所属   ジェイピィールーム

加藤紀子の小学校・中学校 保育園の時から歌手に憧れる

加藤紀子さんの出身小学校・中学校は 鈴鹿市立玉垣小学校・鈴鹿市立千代崎中学校

三重県鈴鹿市出身。父親、母親、4歳年上の兄の4人家族。
両親は隣町の四日市市で昼は定食屋、夜は居酒屋の飲食店を経営していました。
両親は忙しく働き、母親は子供たちの夕食を作りに一時帰宅し、再び店に戻っていました。
父親とは会話する時間があまりなかったため、子供の頃は交換日記をコミュニケーションを取っていたといいます。

保育園の頃から「ピンク・レディー」が好きで、卒園アルバムには「ピンク・レディーみたいになりたい」と書くほど幼少期から歌手に憧れていました。
小学校は重県鈴鹿市北玉垣町にある玉垣小学校、千代崎中学校を卒業。
中学時代のマラソン大会のコースは鈴鹿サーキットのレーシングコースだったといいます。

加藤紀子の高校 歌手を目指して上京

加藤紀子さんの出身高校は 白子高校 (偏差値40~43)

三重県鈴鹿市白子4丁目にある男女共学の県立高校。設置学科は普通科と生活創造科。
1920年(大正9年)に開校した白子町外21か村組合立高等女学校が前身の学校で、2020年には創立100周年を迎えました。
卓球の強豪校で特に女子卓球部は何度もインターハイで優勝しています。

高校入学後、歌手を目指して名古屋の歌の学校に通い始め、1990年、高校3年生の時に伝をたどって単身で上京。
上京する際には父親と「いい加減な気持ちでやらない」との誓約書を交わしたといいます。
上京後は東京都渋谷区上原にあった都立高校の代々木高校(2004年に閉校)に転入。
同高校は立地と自由な校風から多くに芸能人が通っていました。

加藤紀子の学歴

加藤紀子の学歴

小学校  鈴鹿市立玉垣小学校
中学校  鈴鹿市立千代崎中学校
高校   白子高校 代々木高校
大学   進学していません

「桜っ子クラブさくら組」でデビュー

上京後はアパートで1人暮らしをしながらオーディションを受け、1991年に「桜っ子クラブさくら組」のオーディションに合格し、4月からテレビ朝日の『桜っ子クラブ』出演。
メンバーには菅野美穂さん、中谷美紀さんなどもいました。

1992年7月25日、シングル『今度私どこか連れていって下さいよ』でソロ歌手デビュー。
2005年までにシングル12枚、アルバム5枚をリリース。
1995年10月の5枚目のシングル『Truth』がオリコン33位になり、これが最高位でした。

バラエティ番組で活躍後、フランス留学

1992年4月から音楽番組『歌謡びんびんハウス』(テレビ朝日)のアシスタントを務め、1993年4月からはゲーム関連番組『スーパーマリオクラブ』(テレビ東京)で渡辺徹さんと共に司会を務め、1998年8月まで出演。
1994年10月からは『笑っていいとも!』(フジテレビ)にレギュラー出演し、同年11月からは『マジカル頭脳パワー!! 』(日本テレビ)のレギュラー解答者となり、1999年9月まで出演しました。

1960年代に活躍した歌手・フランス・ギャルのCDをもらって聞いたことがきっかけでフランス音楽が好きになり、2000年、28歳に芸能活動を休業し、2年間のフランス語学留学をしました。
留学は1年間悩んで決めたそうです。
2002年に帰国し芸能界に復帰しました。

結婚歴は2度

加藤紀子さんの結婚歴は2度で、最初の結婚は2006年1月、32歳の時でした。
夫は11歳年上でクリエイティブ・ディレクターの若槻善雄さん。
フランス留学中に出会い、約1年の交際で結婚しましたが、結婚4年目の2010年4月に離婚。

再婚したのは2013年3月、40歳の時。
夫は16歳年上でヒップホップバンド『TOKYO No.1 SOUL SET』のDJ・川辺ヒロシさん。
元々顔見知りで2011年頃に小籔千豊さんが主催する音楽イベント『コヤブソニック』で、好きな音楽や本が同じで意気投合し交際をスタートしたそうです。

2度の結婚とも子供はいないようです。

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