『第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン』がきっかけでアイドルデビューし、女優、タレント、司会者としても活躍した荒木由美子さん。
結婚後は長い間、介護生活を送っていました。
この記事では荒木由美子さんの学歴、経歴、生い立ちを紹介しています。
荒木由美子の学歴
小学校 神埼市立神埼小学校
中学校 神埼市立神埼中学校
高校 堀越高校
大学 進学していません
荒木由美子の小学校
荒木由美子さんの出身小学校は 神埼市立神埼小学校
佐賀県神埼郡神埼町(現・神埼市)出身、父親は典型的は九州男児だったといいます。
両親は商売をしていて共働きで幼少期から鍵っ子、小学校低学年の頃からは両親の代わりに家族の食事などの家事をすすんでしていました。
子供の頃は外で遊ぶのが大好きで、真っ黒に日焼けしていて、前で歌う事も好きだったといいます。
荒木由美子の中学校
荒木由美子さんの出身中学校は 神埼市立神埼中学校
中学時代はバスケットボールに入っていました。
1976年に『第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン』に応募し、小川順子さんの『過ち』をて、審査員特別賞を受賞。
グランプリは榊原郁恵さんでした。
荒木由美子の高校
荒木由美子さんの出身高校は 堀越高校(偏差値38)
中学卒業後は上京し、堀越高校・芸能コース(現・トレイトコース)進学。
東京都中野区中央にある男女共学の私立高校。
1977年6月10日、高校2年生の時にシングル『渚でクロス』でアイドルデビューし、
第8回日本歌謡大賞連盟放送音楽・新人賞 FNS歌謡祭音楽大賞・優秀新人賞
を受賞しました。
荒木由美子の経歴
名前 荒木由美子
生年月日 1960年1月25日
出身 佐賀県神埼郡神埼町(現・神埼市)
身長 153cm
血液型 B型
所属 ハブ・マーシー
1977年にアイドルデビュー後、アイドル歌手としては1980年3月までに10枚のシングルをリリースしています。
女優、タレント、司者としても活躍し、1978年に『おはなちゃん繁昌記』(テレビ朝日)ドラマデビューすると、翌年の1979年には『燃えろアタック』(テレビ朝日)でドラマ初主演しに人気を博しました。
同ドラマは1980年代には中国で『排球女将』のタイトルで放送され、中国での視聴率は80%以上を記録し、中国の役名の『シャオロン・ツーツー』ファンは多く根強い人気で、2000年代に招待され中国に行ってみると、大歓迎され、その後もや毎年のようにイベントや中国の番組に出演しているといいます。
1979年からは司会者としても活動し、『正解のないクイズ』(フジテレビ)で高島忠夫さんと司会を担当し、1981年からは『ザ・テレビ演芸』で横山やすしさんと司会を務めました。
結婚後は義母を介護
荒木由美子さんは1983年、23歳の時に13歳年上のタレント・湯原昌幸さんと結婚。
湯原昌幸さんは当時、ホリプロに所属していたことから、デビュー前からの知り合いでした。
グループで食事に行く関係でしたが、13歳も年上だたことから、当初は恋愛対象とは考えてませんでしたが、交際を申し込まれると、荒木由美子さんは「結婚前提とした本気のお付き合いなら私も真剣に考えます」と言い、間もなく湯原昌幸さんがプロポーズして結婚しました。
結婚後は一時芸能界は引退、結婚2週間後に義母が糖尿病からきた足の血栓で入院、「糖尿病」以外にも「高血圧」、「心臓肥大」のなどの生活習慣病もあり、以降、20年間は介護生活でした。
結婚の翌年には息子が誕生し、介護と並行し手子育てもしていました。
夫の湯原昌幸さんは「無理はしなくていい、由美子が元気でいてくれないと…」と心配してうれましたが、性分もありては抜けなかったそうです。
介護は初めて5年後に義母は認知症を発症し、息子が小学校から中学へと進む大事な時期に、認知症の進行が重なったことは大きなストレスとなったと話しています。
義母が2003年に亡くなるまで介護は続きました。
2004年3月に自身の介護経験を基に『覚悟の介護』を出版、これを機に芸能活動を再開しています。
コメント