日本のエジプト考古学の第一人者で、衛星写真分析などハイテクを導入した調査方法で遺跡を発掘する手法を、世界で始めて行ったエジプト考古学者の吉村作治さん。
テレビではタレント、コメンテーターとしても出演しています。
この記事では吉村作治さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
Contents
吉村作治の経歴
吉村作治の小学校 エジプトで発掘を決意
吉村作治さんの出身小学校は 中野区立丸山小学校
1943年、東京都新宿区生まれ。両親は手描き友禅染の職人で和服製作と販売する店を経営。妹が1人います。 自宅には家族と共に、内弟子も生活していました。
両親は母親の方が圧倒的に強く、父親が逆らったことは見たことがなかったそうです。
両親は休みことなく働き、母親は、
『死ねばずっと休める。人間は働くために存在し、一方でちゃんと倒れないよう手を抜いてもいるので大丈夫』
と言っていたそうです。
小学生の時はいじめられっ子で図書室に逃げ込む毎日だったといいます。
いじめ自体は克服をすることはできせんでしたが、いじめっ子は図書室までは追いかけてくることはなく、本が好きで自分の世界がそこにあったためいじめは諦めていたそうです。
先生の勧めで、小学校4年生の時に『ツタンカーメン王のひみつ』という考古学者のハワード・カーターの伝記を読み、古代エジプト遺跡の魅力とその発掘にかけるロマンに惹きつけられて、小学生の時に、
『将来はエジプトで発掘をするぞ!』
と決意したといい、後の学生生活は22歳でエジプトに行くまでの準部期間だったといいます。
吉村作治の中学校 エジプトに行くために中学受験
吉村作治さんの出身中学校は 東京学芸大学附属大泉中学校
東京都練馬区東大泉五丁目にあった男女共学の国立中学校。
2009年に閉校になっています。
小学校の先生「にエジプトに行きたい」と話しをすると、
『君が大学に入るころには、エジプトへ行けるかもしれないから、いい大学へ行き、考古学者になればいい』
とアドバイスをもらい、いい大学に入るために中学受験を決め、当時、競争率30倍以上だった東京学芸大学大泉付属中学校に合格し、進学しました。
職人の両親は高等小学校しか出てなく学校のことはわからず、吉村さんが「エジプトへ行きたい」と言っても「いつ行くの?」「いくらかかるの?」としか聞かずに、否定することはなく、吉村さんを尊重してくれたそうです。
吉村作治の高校 アラビア語を勉強
吉村作治さんの出身高校は 東京学芸大学附属高校 (偏差値72)
東京都世田谷区下馬にある男女共学の国立高校。設置学科は普通科のみ。
都内でもトップ10に入る進学校です。
出身者にはお笑いコンビ・オリエンタルラジオの中田敦彦さん、元フジテレビアナウンサーの平井理央さんなどがいます。
高校時代も将来エジプトに行くためのこと第一に考えて学生生活を送りました。
エジプトでヒッチハイクをした時にのことを考えて、アラビア語と中国語を勉強。部活は身体を鍛えるために山岳部に入部。
自分の意思を伝えるためにはゼスチャーも必要だと思い、演劇部にも入りパンマイマイムをやっていました。
吉村作治の大学 3年の浪人生活
吉村作治さんの出身大学は 早稲田大学 第一文学部美術史学科 (偏差値68)
大学受験では東京大学入学を目指し、受験しましたが不合格。駿台予備校に入り、3年間浪人しましたが4回とも東大に落ちました。
年々成績は上がっていて、現役時代は合格率Bランクでしたが、浪人してから毎年Aランクで、あと少しだと思っていましたが母親に、
『予備校も3年間通ったのだから、もう浪人はやめなさい。4回も落とした東大の先生の言うことを聞けるの?』
と言われ、早稲田大学に入ることを決めたそうです。
後に当時の東京大学の考古学の先生にの専門地域は中南米とギリシャだけだったことを知ったそうです。
当時の早稲田大学にもエジプト考古学を研究している先生はいませんでしたが、学生主任の先生に
『エジプト考古学を諦められないなら、先生に専門を変えてもらうしかない』
と言われ、総長にも「やれるものならやってごらん」と言われたので、当時、メソポタミアのシュメールの研究をしていた川村喜一講師に、
『エジプトの研究をしましょう』
とお願いし承諾をもらい、大学3年生の時には川村先生と学生5人で念願のエジプトに初めて行くことができました。エジプト考古調査隊としてはアジア初だったといいます。
大学は1969年に卒業しました。
吉村作治の学歴
エジプト考古学の第一人者
吉村作治さんは早稲田大学で、それまでは日本になかったエジプト考古学を作り、日本におけるエジプト考古学の第一人者として活躍。
1968年にエジプト・カイロ大学に留学し、1969年に大学卒業後、早稲田大学エジプト調査隊として初の本格調査をルクソール西岸のマルカタ南遺跡で開始。
新参調査隊でしたが、異例の早さの5年でエジプト考古最高評議会から単独調査の認可が下り、1974年、31歳の時にはエジプト・ルクソール西岸マルカタ南地区でアメンヘテプ3世の祭殿「魚の丘遺跡」を発見し一躍注目を集めました。
1978年には日本テレビの『ピラミッド再現計画』プロジェクトに参加して現地で指揮し、5月に『木曜スペシャル』で放送。
1987年に早稲田大学人間科学部助教授になり、1996年に早稲田大学人間科学部教授に就任。
同年にダハシュール北地区で神殿型大型貴族墓を発見し、世界で初めて人工衛星の画像解析を利用した調査として注目を集めました。
2001年には世界2例目となる「クフ王の銘が入った彫像」を発見した後、さらに1体を発見。
その後もミイラは200体発見しています。
ビートたけしのエジプトミステリー(テレビ東京)、世界まる見え!テレビ特捜部(日本テレビ)などテレビ番組も出演し、探偵!ナイトスクープ(ABC)では顧問として出演しました。
2010年には早稲田大学名誉教授となり、2021年4月には東日本国際大学総長に就任しました。
吉村作治の結婚歴や妻、子供
結婚したのは1967年、23歳の時でした。
妻はエジプトのカイロ大学に留学していた時に知り会った8歳年下の女性。
子供は息子1人と娘1人が誕生しましたが、離婚しています。
離婚の理由は研究と資金集めなどの仕事に没頭し、家に帰るのは年に20日程度で、1回に5日ほどだったことと、決定的だったのは結婚後、吉村さんはイスラム教徒になっていましたが、タブーを破ったことだったといいます。
吉村さんは家族を日本に呼んで、京都や富士山、熱海などに連れて行きましたが、熱海で家族が寝静まった後にラーメン店でラーメンを食べ、入っていたイスラム教で禁じられている豚肉のチャーシューを食べたところを妻、子供の見られ、妻は激怒し離婚に至ったそうです。
長女はエジプトで女優をしているようです。
吉村さんは、離婚後は再婚はしていません。
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