傑作ミュージカル『上海バンスキング』で世に名前を知らしめ、同舞台のサントラ盤で歌手デビューもした女優の吉田日出子さん。
2014年には高次脳機能障害であることを自身の著書で明かしています。
この記事では女優の吉田日出子さんお学歴、経歴、生い立ちを紹介しています。
吉田日出子の学歴
吉田日出子の小学校、中学校
吉田日出子さんの出身小学校、中学校は 不明
石川県金沢市生まれ、東京都北区育ち、3姉妹の次女。
本名は平松 日出子(ひらまる ひでこ)。
父親は東京美術学校(現・東京芸術大学)彫刻科を卒業後、フランス留学を経験し、彫刻家をしていましたが徴兵され、石川県金沢に駐屯。
母親は医師でした。
臨月になった母親がに金沢市に来て、吉田日出子さんが次女として誕生しました。
生後1ヶ月の時に父親は出征し、母親と吉田日出子さんたちは新潟県に疎開。
父親は1944年にフィリピン・レイテ島で戦死。
終戦後、1947年に母親は娘2人を連れて東京に戻り、病院勤をへ経て、吉田日出子さんが中学生の時に北区赤羽で内科小児医院を開業。
小学校はカトリック系の私立小学校に入学しましたが、自身の希望で4年生の時に公立小学校に転校。
母親はその後再婚し、三女が誕生しました。
長女は精神科医になり、三女は建築デザイナーになっています。
吉田日出子の高校
吉田日出子さんの出身高校は 北園高校(偏差値64)
東京都板橋区板橋にある男女共学の都立高校。
1928年(昭和3年)に開校した東京府立第九中学校を前身とする学校です。
出身者には俳優の江守徹さん、中山美穂さん(定時制)などがいます。
中学時代には家庭教師をつけて受験勉強し、学校を見学して校舎が気にいり、同高校を選んだといいます。
高校時代は演劇部に所属。
江守徹さんは高校の同級生で、演劇部でも一緒でした。
演劇部では演劇論に馴染めず、1年で退部。
姉の誘いで高校3年生の時に観た『劇団俳優座』の舞台に感銘を受け、1962年、高校卒業後に俳優座付属俳優養成所のオーディションを受け合格し、14期生として入所しました。
吉田日出子の経歴・生い立ち
1962年に入所した俳優座付属俳優養成所の同期には原田芳雄さん、串田和美さんがいました。
養成所時代は遊んでばかりで、授業にもあまり出席していなかったといい、その後は劇団文学座に研究生として入団。
1本の舞台に出演しただけで文学座は退団し、1966年に串田和美さん、地井武男さん、村井國夫さんらと劇団『自由劇場』を旗揚げ。
翌年の1967年、舞台『あたしのビートルズ』、『赤目』で、
紀伊國屋演劇賞
を受賞。
1979年のミュージカル『上海バンスキング』で主役の正岡まどか 役を好演し演技を評価され、再演を重ねる大ヒットとなり、小劇場演劇としては記録的なロングラン公演となりました。
同作の艶やかな声と類まれなる表現力で、個性派女優として、吉田日出子さんの名は広く知られるようになりました。
1986年の舞台『ドタ靴はいた青空ブギー』で
菊田一夫演劇賞
を受賞。
1989年6月公開の映画『社葬』で、
第14回報知映画賞・最優秀助演女優賞 第13回日本アカデミー賞・優秀助演女優賞
を受賞しました。
吉田日出子さんに結婚歴はなく独身。
1994年には21歳年下の高橋克典さんを交際、同棲が報じられていました。
吉田日出子の病気
2014年11月に発売した自身の著書『私の記憶が消えないうちに』で2007年に主演舞台を降板したことに触れ、セリフを覚えることが困難で、いつも通っている道でも迷うことがあったことを明かし、検査の結果、前頭葉に傷が見つかり高次脳機能障害であることも明かしました。
高次脳機能障害とは、脳の損傷によって引き起こされることが多い病気で、脳が受けた損傷の場所により現れる症状が異なり、代表的な症状は、記憶障害(日付や人の名前を忘れる)、注意障害(物事に集中できない)、遂行機能障害(計画が立てられない)、社会的行動障害(感情のコントロールができない)などがあります。
仕事は2011年以降はしていません。
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