山田隆夫の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 山田隆夫 タレント

日本テレビ系演芸番組『笑点』の座布団運びで知られるタレントの山田隆夫さん。
『笑点』に初めてレギュラー出演したのは中学生の時でした。
この記事では山田隆夫さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

山田隆夫の経歴・プロフィール

山田隆夫のプロフィール

名前   山田隆夫
生年月日 1956年8月23日
出身   東京都江東区深川
身長   155cm
血液型  A型
所属   山高帽

山田隆夫の小学校 子役デビュー

山田隆夫さんの出身小学校は 渋谷区立猿楽小学校

1956年、東京都江東区深川に6人きょうだいの末っ子として生まれ、下町で育ちました。
実家は木材問屋で、職人を何十人も抱え、自宅にはお手伝いさんが3人もいた裕福な家庭でしたが、山田さんが生まれる頃に詐欺にあい財産をすべて失ったそうです。
山田さんが誕生したのは、家庭が一番貧しかった時で、末っ子の山田さんだけ赤ん坊の頃の写真がないといいます。

父親は真面目でしたが、酒を飲むようになりちゃぶ台ひっくり返すこともあったといい、母親は優しく食べ物も困る生活に、

『たかお、申し訳ないね、ごめんね』

といつも言っていたそうです。

そんな家庭だったことから、両親を笑わせたいと思い、落語に興味を持つきっかけになり、小学校の時には学芸会の演目に参加するなどして、クラスにで人気があったといいます。

小学4年生の時に、当時、子供たちの間で人気番組だった『日清ちびっこのどじまん』の収録を同級生たちと一緒に見に行くと、出演予定だった小学生の1人が風邪でドタキャン。
代役はいなかったようで、番組司会者が、

『誰か、歌いたい人?』

とその場で参加者を募ると、山田さんは手を挙げ指名される前から勝手に舞台に上がり、

『僕が歌います!』

と言い、その物怖じしない性格を買われて飛び入りで参加して『ちびっこマーチ』を歌うと、その週の優勝者となりました。
優勝の商品は日清がスポンサーだったことから、インスタントラーメン半年分で、家に持ち帰ると家族はみんな笑顔で大喜びだったそうです。

その後、番組の審査員の声をかけられ、NHKの歌番組に出演。
さらに、その番組を見た脚本家の目に留まり、勧められて『劇団ひまわり』に所属し、子役として活躍しました。

山田隆夫の中学校 「笑点」初出演

山田隆夫さんの出身中学校は 江東区立深川第七中学校

中学時代も子役として活躍し、1970年、中学2年生の時に日本テレビからのオファーで『笑点』に出演。
『笑点』の「ちびっ子大喜利」にレギュラー出演し、人気を博して高校生まで出演しました。

山田隆夫の高校 「ずうとるび」を結成

山田隆夫さんの出身高校は 日本大学豊山高校 (偏差値58~59)

東京都文京区大塚にある私立の男子校。設置学科は普通科のみですが、学科内で進学クラス、特進クラス、体育クラスに分かれています。
出身者にはコメディアンの斉藤清六さん、THE YELLOW MONKEYのベーシストの廣瀬洋一さん、俳優の伊勢谷友介さんなどがいます。

レギュラー出演していた『笑点』の「ちびっ子大喜利」では座布団が10枚たまると商品がもらえるルールで山田さんは

『レコードを出したい』

とリクエストし、見事10枚獲得。当時はアイドル全盛時代だったことから、「ちびっ子大喜利」の出演メンバーでアイドルグループを組むことになり1973年、17歳の時に4人組のアイドルグループ『すうとるび』を結成。
翌年の1974年2月10日に山田さん作詞・作曲の『透明人間』でデビューしました。

デビュー直後から『ずうとるび』の人気は高く、歌番組、バラエティ番組で最盛期には11本のレギュラー番組を持つまでになり、高校を卒業した1975年には「第26回NHK紅白歌合戦」にも出場しました。

山田隆夫の学歴

山田隆夫の学歴

小学校  渋谷区立猿楽小学校
中学校  江東区立深川第七中学校
高校   日本大学豊山高校
大学   進学していません

「笑点」の座布団運びに就任

大人気となった『ずうとるび』でしたが、徐々に人気は停滞し、メンバー間でもコミック路線に進みたい山田さんと、歌って踊れる正統派アイドルを目指したい他のメンバーと音楽性の違いから亀裂が入り、山田さんは結婚を機に、1977年、21歳の時に脱退。

その後、『ずうとるび』は他のメンバーを加えて活動を続けましたが、1982年に解散しています。
2020年1月には解散時のメンバーに山田さんの加わり、5人体制で再結成し、2021年7月21日には41年ぶりに新曲を発表しました。

山田さんは脱退後は、俳優を軸に活動しましたが、『ずうとるび』としてのレギュラー番組がなくなったことで、収入は激減。
一時期は当時、すでに所有していたマンションが主な収入源なっていたといいます。

1984年10月、28歳の時に松崎真さんの後任として、『笑点』の6代目座布団運び役に就任。

『重い座布団をちっちゃいのが運んだらおもしろいんじゃないか』

という5代目三遊亭圓楽さんと番組プロデューサーのアイデアで、身長が155cmの山田さんに白羽の矢が立ったそうです。

座布団係としては本名で出演していますが、落語家の鈴々舎馬風さんにに入門し、落語家として「鈴々舎鈴丸」という名前も持っているそうです。

俳優としては、オーディションを受け、1987年にスティーヴン・スピルバーグ監督のアメリカ映画『太陽の帝国』に出演しました。

家族が詐欺にあい、両親が土地や建物を失ったことから、17歳から不動産投資を始め、現在は都内に2棟のマンションを所有しています。

山田隆夫の結婚歴や妻、子供

山田隆夫さんの結婚歴は2度で、離婚歴は1度です。

最初の結婚は1977年、21歳の頃でした。
妻は元歌手で、1歳と年下の吉川桂子さん。
吉川さんがロサンゼルスで生まれ、12歳で帰国。高校在学中に歌手デビューし、バラエティ番組でアシスタントとしてに活躍していました。

馴れ初めは東京12チャンネル(現・テレビ東京)のクイズ番組『対決!スーパーカークイズ』でに共演で、山田さんが司会、吉川さんはアシスタントを努めたことで出会いました。
子供は娘が2人に恵まれましたが、吉川さんの両親と折り合いが悪く、芸能界引退も迫られたといい、5年後の1982年に離婚しています。

再婚したのは1985年、29歳の時。妻は一般女性の恵子さん。
現在の妻との間には1987年に息子の太一さんと、1988年に娘の桃子さんが誕生しています。

息子の太一さんは調理師免許を取得し、豊洲の魚市場で働き、娘の桃子さんは結婚し、沖縄の久米島でブローチや帯を作っているといいます。

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