田崎真也の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕高校時代は船員を目指していた

学歴 田崎真也 その他

1995年に世界最優秀ソムリエコンクールで日本人として初の優勝を果たしたソムリエの田崎真也さん。
高校時代は船員を目指していました。
この記事では田崎真也さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

田崎真也の学歴

田崎真也の学歴

小学校  相模大野市立南大野小学校
中学校  相模原市立大野南中学校
高校   幾徳工業高等専門学校
大学   進学していません

田崎真也の小学校

田崎真也さんの出身小学校は 相模大野市立南大野小学校

1958年3月21日、東京都渋谷区生まれ。
父親は福岡県出身で、パンや菓子を売る店を経営した後、大手電気店に転職。妹がいる2人きょうだい。
田崎さんは子供の頃は弱虫で、近所の子供にいじめられて泣いて帰ってくることがあり、その時は妹が怒って仕返しに行っていたそうです。
小学4年生の時に、神奈川県相模原市に移り、以降は相模原市で育ちました、

子供の頃は昆虫好きで、9歳の誕生日に昆虫図鑑をもらうと、毎日飽きずに読んで全ての昆虫の名前を覚え、ファーブル昆虫記も愛読し、小学生の時の将来の夢は昆虫学者でした。

田崎真也の中学校

田崎真也さんの出身中学校は 相模原市立大野南中学校

中学1年生の時に両親は離婚。妹と共に父親に引き取られ、以降は男手1つで育てられました。
子供の頃はよく鯉などを釣っていたといい、家が鮮魚店で釣り好きは友人の影響で、昆虫から魚に興味が移り、魚に夢中になり今度は魚図鑑を読み、中学時代から自分で釣った魚をさばいて家族にふるまうこともあったといいます。
中学3年生の時には入会資格が高校生以上だった「全日本磯釣(いそづり)連盟」に高校2年生だとごまかして会員として入会しました。

田崎真也の高校

田崎真也さんの出身高校は 幾徳工業高等専門学校

神奈川県厚木市下荻野にあった高等専門学校。
1965年に大洋漁業(現・マルハニチロ)の社長が中心となり設立された学校で、本校を母体に1975年に幾徳工業大学が開校したことで、1978年に閉校しました。
出身者には俳優の島田久作さん(中退)などがいます。

同校は就職がしやすいと考えた父親の勧められ、田崎さんは当初、乗り気ではありませんでしたが、中学の担任に「合格は難しい」と言われたことで逆にヤル気になり合格しました。
高校1年の時は夏休みにはアルバイトのため伊豆七島の新島で1カ月過ごし、小さなスナックでアルバイトをしていました。

『夏休みにアルバイトのため伊豆七島の新島で1カ月過ごすと、すっかり遊び癖がついてしまう。友人の家に転がり込み、新学期になって学校に行かなかった。』

田崎さんは入学当初は成績は優秀でしたが、1年目で自分には向かないと感じていたといい、その後、「外国船の船長になりたい」と思い、別の学校に行きたいと父親の伝えると、最初は聞かないフリをされましたが、言い続け、

『そんなに言うのなら好きにしていい。その代わり次がダメでも、それ以上は面倒をみない、大人として扱う』

と言われらものの許可され、翌年の春にれ国立清水海員学校に入学。
静岡県静岡市清水区折戸3丁目にある、船舶を運航できる船員を養成する学校で、現在の 国立清水海上技術短期大学校。
入学後、再び行った新島でガールフレンドができると、規則が厳しい全寮制の学校に我慢できなくなり、寮を脱走。
上野をうろついていて補導され、その後、学校は中退しました。

田崎真也の経歴 ソムリエになったきっかけ

田崎真也のプロフィール

名前   田崎真也
生年月日 1958年3月21日
出身   東京都渋谷区
身長   175cm
血液型  B型  

国立清水海員学校を中退後は、家を出で割烹料理店で板前を目指しましたが、自分には合わないと辞め、結婚式場の調理場で働くと、お客さんとのコミュニケーションの瞬間が楽しいことに気づき、サービスの仕事をすることを決意。

その後、フランス料理のサービスの仕事に就きました。

『その店ですばらしいサービスをする人たちと出会いサービス業に目覚めて、将来の仕事にしようと決めました。同時に、自分で今一番弱いところはワインだと感じました。』

当時はまだ10代でワインは身近なものではなく、ワインのことを覚えるのは大変だったといいます。
どうすればワインのことを覚えられるだと考えた結果、「フランスに行くしかない」と思いフランス行きを決意。
務めていたレストランを辞め、お金を貯めるために配膳人紹介所で結婚式場などで1日16時間働き、半年で100万円ため、19歳の夏に渡仏。
フランスではワインスクールに入学し、ソムリエ科を卒業。

1980年に帰国し、同年に日本でソムリエコンクールが初めて開催され、その年は終わっていたので勉強して翌年にの第2回のコンクールに参加しましたが準決勝で敗退。
悔しくて第3回も出場すると優勝。
当時、25歳で日本料理店に勤めていた時で、コンクールで優勝することに興味はありましたが、特にソムリエになろうとは思っていなかったそうです。
しかし、日本料理店のソムリエが優勝したことで、メディアからは注目されて毎日取材受けたといいます。

『優勝して初めてソムリエというタイトルで仕事をしてもいいかな、名刺にソムリエとだけ書いてあってもいいかなと思い始めました。』

ソムリエの肩書きで仕事を始めた矢先、フランスで世界コンクールの優勝者と会い、そのレベルの差に驚き、「これはもう世界を目指すしかない」と勉強を続け、以降、11年間世界コンクールに出場し、1995年、37歳の時に日本人で始めて第8回世界最優秀ソムリエコンクールで優勝を果たしました。

この快挙で日本のワインブームの立役者となり、ソムリエとしてだけでなく、飲食店のプロデュースなどでも活躍しています。

田崎真也の結婚や妻、子供

田崎真也さんはフランス時代に出会った女性と21歳の時に結婚しています。
妻はフランスでメイクアップアーティストとして働いていた日本人女性。

子供は娘が2人誕生していますが、長女は1歳の時に白血病と発症し3歳で亡くなりました。
翌年に次女が誕生しています。

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