東京都出身でその美貌から清純派女優として活躍した多岐川裕美さん。
この記事では多岐川裕美さんの学歴、経歴、生い立ちや、デビューのきっかけなどにについて紹介しています。
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多岐川裕美の経歴・プロフィール
多岐川裕美の小学校
多岐川裕美さんの出身小学校は 練馬区立開進第二小学校
東京都杉並区出身。本名は大内 薫(おおうち かおる)。兄がいる2人兄弟。
父親はプロダクトデザイナー、母親は保険の外交員で両親は共働きでした。
母親は教育熱心で厳しかったといいます。
小学校は東京都練馬桜台5丁目にある公立小学校の練馬区立開進第二小学校に入学。
小学生の頃は身体が弱く保健室の常連で、実家の冷蔵庫には多岐川さん専用の胃薬が常にあったそうです。
食事は牛乳と魚が苦手でした。
幼少期から将来の夢のようなものはほとんど考えたことはなかったといいます。
多岐川裕美の中学校
多岐川裕美さんの出身中学校は 山脇学園中学校・山脇学園高校
東京都港区赤坂4丁目にある私立の女子校。
1903年(明治36年)、牛込白銀町に開学した女子實脩学校が前身学校で、中学校の偏差値は55。
完全中高一貫制のため高校での生徒募集はありませんが、東京大学にも合格者を出す進学校です。
出身者には俳優の朝丘雪路さん、貫地谷しほりさんなどがいます。
小学生の時に中学受験のために近所の男の子と一緒に家庭教師について勉強し受験に合格しました。
中学3年生まで内気で人見知り。自分から話すことはほとんどなかったといいます。
美貌から街でよくナンパされ、多い時には1日10回も声をかけられたそうです。
多岐川裕美の大学|女優デビューのきっかけ
多岐川裕美さんの出身大学は 山脇学園短期大学
東京都港区赤坂4丁目にあった私立短期大学で、2011年に閉校になっています。
通っていた中学、高校の山脇学園の系列の大学で設置学科はで家政科、食物科、英語科。内部進学に入学しました。
出身者には歌手の沢たまきさんなどがいます。
短大時代には母親が次々とお見合い話を持ってきていて「主婦になるんだろう」と自然に思っていましたが、短大在学中に東京駅近くの喫茶店でアルバイトしていた時に映画監督にスカウトされ芸能界入り。
しかし、特に映画好きだったわけではなく、芝居に対しても何のイメージもなく、後に「なぜこの道を選んだのか、今考えてもよく分からない」と話しています。
1974年2月に公開された映画『聖獣学園』で俳優デビュー。
修道院を舞台にしたエロティック・バイオレンスで多岐川さんはヌードも披露しました。
多岐川裕美の学歴
清純派女優として活躍
スカウトされ1974年に映画『聖獣学園 』『任侠花一輪』に出演。『任侠花一輪』では白鳥螢子、有田光子役の二役を演じました。
1975年には6本の映画に出演するなど仕事は順調したが、あれよあれよとと俳優になり演技を学んだことはなかったため、1974年に出演したドラマ『みちくさ』(フジテレビ)の放送された自分の演技を見て自分の演技のひどさにが愕然。
そこで初めて「もっとできるようにならなきゃいけない」と向上心が芽生えたといいます。
1976年にはエランドール賞・新人賞を受賞。
1978年10月から放送されたドラマ『柳生一族の陰謀』(フジテレビ)でヒロイン・ 阿国を演じ、翌年の1979年にも『七瀬ふたたび』(NHK)で主演を務めるとブレイク。
「早稲田大学生が選んだ一緒に連れて歩きたい女性」の1位になるなど清純派女優として人気を集めました。
デビュー作の『聖獣学園』はヒットしたわけではなく忘れ去られた映画でしたが、多岐川が清純派イメージで人気となったことからメディアに取り上げられ1980年には再公開されました。
1986年4月からは『クイズ!!ひらめきパスワード』(TBS)に出演。女性チームの2代目キャプテンを務めるなどバラエティ番組でも活躍しました。
結婚や妻、子供
1994年8月、33歳の時に11歳年上の芸能プロモーターの阿知波信介さんと結婚。
阿知波さんは元俳優で『ウルトラセブン』のソガ隊員役を演じるなど活躍しましたが俳優業は引退。
引退顔は三船プロダクションのスタッフになり、当時所属していた多岐川さんのマネージャーを担当しました。
三船プロダクションが分裂した後は983年に竜雷太さんと共同で芸能事務所・アクターズプロモーションを設立。多岐川さんも所属しました。
出会った当初、阿知波さんは既婚者で離婚成立後に結婚し、1988年には長女の華子さんが誕生しましたが、結婚13年目の1997年12月に離婚しました。
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