映画を中心に活動する俳優の永瀬正敏さん。
この記事では永瀬正敏さんの学歴、経歴、生い立や、俳優デビューのきっかけなどについて紹介しています。
永瀬正敏の経歴・プロフィール
永瀬正敏の中学校
永瀬正敏さんの出身中学校は 都城市立姫城中学校
宮崎県都城市出身。父親は元信用金庫に勤務、母方の実家は都城市で薬局を経営し両親は共働きでした。
兄弟は弟がいましたが幼い頃に亡くなり、生前の写真は1枚も残っていないといいます。
祖父はカメラマンで写真館を経営していましたが戦後の混乱で廃業したそうです。
小学校は都城市の公立小学校のようですが学校名は不明。
小学生の時は少年野球チームに所属していました。
中学校は 宮崎県都城市姫城町に都城市立姫城中学校を卒業。
音楽が好きで、中学時代はザ・クラッシュやセックスピストルズなどのパンクバンドにハマり、バンドを結成。ギターをやりたいと思っていましたが、1人だけリズムがずれてギターはクビになったといいます。
アルバイトは禁止でしたが、スタジオ代を稼ぐために何度か露店でのアルバイトを経験したそうです。
永瀬正敏の高校|俳優デビューのきっかけ
永瀬正敏さんの出身高校は 都城西高校 (偏差値58)
宮崎県都城市都原町にある男女共学の宮崎県立高校。設置学科は普通科とフロンティア科。
1948年(昭和23年)に創立した高校で、出身者には俳優の温水洋一さんなどがいます。
「教師を代表とした大人という人たちにできねえことをやってやりてえな」とずっと思っていて、それでオーディションに応募して『これはできないでしょう?』って、そこで満足していたんですけど、受かってしまったので(笑)。
永瀬さんが中学、高校生の頃はちょうど日本中で校内暴力が騒がれはじめた頃で、学校側の締め付けが強く、それが窮屈だったことから、1982年、高校1年生の時に映画『ションベン・ライダー』のオーディションに応募し約15000人の中から合格。
1983年2月に『ションベン・ライダー』で俳優デビューしました。
オーディションへの応募は母親にしか伝えておらず合格した時には「どうやって両親を説得すればいいんだろう」と思ったといいます。
両親は反対だったようですが、プロデューサーが説得してくれて母親が折れてくれ、「青春の思い出に1本だけ経験させるのもいいんじゃないか」と父親は説得してくれたそうです。
デビュー後は上京。高校は東京都杉並区和泉2町目にある日本大学鶴ヶ丘高校(偏差値64~68)に転校。その後、東京都中野区中央2丁目にある堀越高校(偏差値38)に転校して高校を卒業しました。
永瀬正敏の学歴
俳優デビュー後
1983年に映画『ションベン・ライダー』でデビュー後、同年6月に少年ドラマシリーズ『だから青春 泣き虫甲子園』(NHK)でドラマデビュー。
1990年にはアメリカ映画映画『ミステリー・トレイン』で主演を務め注目を集め、以降は映画中心に活動しています。
1992年には映画『息子』で第15回日本アカデミー賞・最優秀助演男優賞、新人俳優賞を受賞。
1994年には『an・an』(マガジンハウス)で「アンアン読者が選ぶ好きな男」で1位に選出。
同年から1996年まで映画『私立探偵 濱マイク』シリーズの3作で主演を務め、2002年にはドラマ『私立探偵 濱マイク』(読売テレビ)が放送され連続ドラマ初主演を務めました。
2017年10月、第30回東京国際映画祭コンペティション部門の審査委員をトミー・リー・ジョーンズさんらと共に担当。
写真家としても活動し、デビュー30年目の2013年には公式HPに特設ギャラリーページ『I meet you Project』を設置。
同年12月には地元宮崎県で写真展を開催。
2021年1月から3月までは、愛知県高浜市市制50周年、高浜市やきものの里かわら美術館開館25周年を迎える記念の展覧会で写真展を開催しました。
結婚や妻、子供
永瀬さんは1995年2月22日、28歳の時に1歳年上で俳優の小泉今日子さんと結婚。
馴れ初めは1993年5月の女性誌での対談。これがきっかけで交際がスタートし、9月には熱愛が報じられました。
結婚会見で小泉さんは「形式的なことはやりません」と話し、結婚式、披露宴、新婚旅行も行われませんでした。
結婚4年目の1999年に「赤ちゃんを望む小泉に対し、永瀬が子どもをつくることに反対している」など不仲が報道され、2002年には完全に別居。
9回目の結婚記念日の2004年2月22日に離婚しました。
2人に子供はいませんでした。
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