刑事ドラマ「太陽にほえろ!」のゴリさん役などで知られる俳優の竜雷太さん。
20代の時に青春ドラマ「これが青春だ」で人気を集めました。
この記事では竜雷太さんの学歴、経歴、生い立ち、結婚歴や妻、子供などについて紹介しています。
竜雷太の経歴・プロフィール
竜雷太の小学校
竜雷太さんの出身小学校は 不明
大阪府豊能郡箕面村(現・箕面市)生まれ、京都府舞鶴市育ち。本名は長谷川 龍男(はせがわ たつお)。
兄弟は兄がいたようです。
父親は映画館の支配人代理を務めていました。
戦時中には両親の出生地である京都府舞鶴市に疎開し、10年ほど過ごしていました。
小学校は舞鶴市の小学校に通っていたようですが学校名は不明。
住んでいたのは舞鶴湾のすぐそば。山もあり自然が遊び場で、お腹が空いたら山ではアケビやヤマブドウ、海では会を取っていたといいます。
竜雷太の中学校
竜雷太さんの出身中学校は 舞鶴市立青葉中学校
中学校は京都府舞鶴市行永にある公立中学校の青葉中学校を卒業。
当時の中学生は1人で映画館に行くことは禁止されていましたが、父親の務める映画館に弁当を届けに行き、幕の間からたくさんの映画を見ていたといいいます。
中学校を卒業後は父親の仕事で大阪に移りました。
竜雷太の高校
竜雷太さんの出身高校は 汎愛高校 (偏差値46~49)
大阪市鶴見区今津中2丁目にある男女共学の大阪府立高校。
設置学科は 普通科・体育科・武道科。
出身者にはお笑いコンビ「よいこ」の有野晋哉さん、濱口優さん、ロンドン五輪・柔道銀メダリストの杉本美香さんなどがいます。
父親の仕事で大阪に戻り、同高校に入学しました。
高校時代には石原裕次郎さんに憧れ、石原さんと同じサイズの32インチのパンツを引きずりながら履いていたといいます。
竜雷太の大学
竜雷太さんの出身大学は 日本大学 藝術学部 (偏差値55)
東京都千代田区九段南4丁目に本部がある私立大学。芸術学部は江古田キャンパスです。
子供のから映画をよく観ていたこともあり、漠然と「映画の仕事がしたい」と思い、映画学科に入学しました。
『ふと亡き兄が大学でボートを漕ぎたいと言っていたのを思い出し、大学のボート部に入ることにしたんです。』
大学に入学後、友達が出来ずにいた時に兄の言葉を思い出し、ボート部に入部。1年間しごかれたといいます。
大学在学中に大学の先生に勧められ、広告代理店などが設立した養成所「テレビタレントセンター(TTC)」入学。
大学は中退しました。
竜雷太の学歴
アメリカに留学
1962年に松竹のオーディションに合格し松竹に入社。
1964年に公開された山田洋次監督の映画『馬鹿まるだし』に出演した時、日本映画の研究に来ていたアメリカの演出家・エド・ダンダスさんに誘われ、ダンダスさんの推薦で1965年に芝居の勉強のため単身でアメリカに渡り、サンフランシスコ・ステート・カレッジに1年半留学。
留学中は皿洗いや運転手のアルバイトをしながら、英語、演劇、ドラマなどの基礎を学び、留学中には舞台にも出演。
出演料は600ドルで、貧乏学生にはありがたい額だったそうです。
「これが青春だ」でブレイク
1966年に日本テレビの青春ドラマ『これが青春だ』の主役で出演予定だった夏木陽介さんがクランクインの2週間前に降板。
プロデューサーが同年に竜さんがセリフが一言だけのバスの運転手役で出演した『新・新三等重役』の演技に強い印象を抱いてたことから、竜さんと話すと『これが青春だ』の主人公はアメリカから来た英語教師で、竜さんの経歴に似ていたこともあり主演に抜擢。
26歳で無名の俳優から一躍スターダムにのし上がりました。
1972年からは『太陽にほえろ!』(日本テレビ)に、ゴリさんこと石塚誠刑事役で出演。
1982年の殉職まで10年間出演しました。
結婚歴や妻、子供
竜雷太さんの結婚歴は4度。
最初の結婚は20代後半の頃で、妻は女優の吉成洋子さん。
1年半で離婚しました。
再婚したのは1970年、30歳の頃で、妻は女優の夏圭子さん。
1971年11月に息子が誕生しましたが、1991年に離婚。
翌年の1992年、52歳の時に一般女性と再々婚しましたが、1年ほどで離婚。
その後、時期は不明ですが一般女性と4度目の結婚をしているといいます。
息子は韓国でギタリスト、音楽プロデューサーの長谷川陽平さん。
韓国のロックにハマり、日本でバンドを結成。
1995年から韓国で活動するようようになり、1999年に韓国でデビューしました。
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