何度もがんを克服したことで知られる女優の大空眞弓さん
81歳で沖縄県・石垣島に移住しました。
この記事では大空眞弓さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
Contents
大空眞弓の学歴
大空眞弓の小学校
大空眞弓さんの出身小学校は 千代田区立九段小学校
1940年3月10日、東京市赤坂区(現在の東京都港区)生まれ。父親は沖縄県宮古島市、母親は広島県出身。母親は父親の7歳年上で再婚。兄弟は4歳年上の姉がいます。
父親は貿易商で、1歳半の時に中国・北京市に一家で渡り、終戦間際の1945年夏、5歳の時に帰国。
母親の実家のある広島県佐伯郡五日市町(現在の広島市佐伯区)生活し、同年に原爆に遭遇。
爆心地から3.5kmの防空壕で被爆し、姉は20代後半に胃がんで亡くなっています。
終戦後は父親が、大分県別府市で家具の製造会社を始めたために移り住み、その後、北京時代の人脈を活かして貿易会社を起こしたことから小学2年生の時に東京に戻り、千代田区立九段小学校に通いました。
幼少期は体が弱く、4歳までは外で遊べなかったといい、小学校にも週2日程度しか通えず運動会や遠足などには参加したことはなかったといいます。
大空眞弓の中学校・高校
大空眞弓さんの出身中学校・高校は 白百合学園中学校・白百合学園高校
東京都千代田区九段北二丁目にある私立の女子校。設置学科は普通科のみ。
1881年に設立されたカトリック系のミッションスクール。
お嬢様学校で知られ、礼節を重んじる校風。あいさつは「ごきげんよう」が浸透しているといい、出身者には俳優の木村多恵さん、松たか子さんなどがいます。
中学校の偏差値は68。完全中高一貫制のため高校の生徒募集はなく偏差値もありませんが、毎年東京大学に10人前後の合格者を出す進学校です。
中学生の頃までは、まだ体が弱く動くをめまいがすることもあり、学校も休みがちでした。
生活は裕福で、夏休みには避暑目的で千鳥ケ淵にあったフェアーモントホテルに1、2か月滞在していたといいます。
当時は結婚願望もなく、夢は幼稚園の先生になることでした。
大空眞弓の大学
大空眞弓さんの出身大学は 東洋音楽短期大学 声楽科
東京都豊島区雑司ヶ谷にあった私立大学で、1954年に開校し、1970年に廃止になっています。
大学在学中に、母親と歌舞伎を観に行った帰りにスカウトされ、大学は中退して1958年、18歳の時に新東宝に入社。
同年12月公開の映画『女王蜂』で女優デビューしました。
大空眞弓の経歴 「愛と死をみつめて」でブレイク
1961年に新東宝を退社後、フリーでの活動を経て1962年に東京映画に移籍。
1964年から公開された森繁久弥さん主演の喜劇映画『駅前シリーズ』のヒロインで注目され、同年4月にTBSで放送されたドラマ『愛と死をみつめて』で不治の病に冒される主人公・大島みち子役を演じドラマは大ヒット。
大空さんは24歳でブレイクし、同ドラマが石井ふく子さんプロデュースだった関係かたら、以降は石井さんのプロデュース作品にたびたび出演しています。
大空眞弓の結婚歴や夫、子供
大空眞弓さんの結婚歴は1度で、1968年、28歳のと時に結婚。
夫は同い年で俳優の勝呂誉さん。
勝呂さんは高校卒業後に俳優デビュー。知性派タレントとしても知られ、クイズ番組『クイズタイムショック』では「無制限勝ち抜き制」というシステムがあった時代に、57人連続勝ち抜きという番組記録を達成しています。
1961年のTBSドラマ『青年の樹』での共演がきっかけで結婚しましが、結婚14年目の1982年に離婚。その後は再婚はしていません。
元夫の勝呂さんが再婚した際には、結婚式に出席し、その際にスピーチで、
『過去の私と勝呂さんとの結婚は何かの間違いでした。私のことなんか忘れてどうぞお幸せに!』
と祝辞を述べ、新郎新婦や出席者の爆笑を誘ったといいます。
子供は息子が1人で、1976年に誕生しました。
元俳優でドラマなどに出演していましたが廃業。その後はフリーター生活で、大空さんが援助をしていましたが、2002年に覚醒剤取締法違反で逮捕。
その後も同じ罪で合計3度逮捕され、2008年6月には、1年4か月の実刑を下されました。
がんを克服
55歳の時には人間ドックでで乳房に腫瘍が見つかり、当時は良性でしたが、2年半後に悪性に変わり、58歳で左乳房を全摘出。
治療法は全摘出以外の方法もありましが、再発の可能性がなく、治療期間が短い全摘出手術を選択したそうです。
その後も定期健診で、61歳の時に胃がん、63歳の時に食道がんが発覚。
76歳の時には再び乳がんが見つかり、合計9度のがんを治療し克服しています。
沖縄県・石垣島に移住
70歳のなった頃にセリフを覚えるのが大変になってきて、「もう第一線からは退こうかな」と思い始めたといい、父親の出生地で、親しみのあった沖縄への移住を考えたいいます。
『高齢者となった私が一人で移住するなんて不可能。 そこでまず、息子夫婦に「一緒に行かない?」と持ちかけました。たぶん断られるだろうな、そうだったら諦めようと思っていたのですけれど、息子夫婦はすんなりと「いいよ」と言ってくれまして。』
息子夫婦に反対されたら辞めようと思っていましたが誘うとすんなりOKで、2021年4月に81歳で 息子夫婦と共に石垣島に移住しました。
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