長山洋子の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

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アイドルとしてデビューし、演歌歌手に転身した長山洋子さん。
この記事では長山洋子さんの学歴、経歴、生い立ちや、デビューのきっかけ、夫、子供などについて紹介しています。

長山洋子の経歴・プロフィール

長山洋子の経歴・プロフィール

名前   長山洋子
生年月日 1968年1月13日
出身   東京都
身長   156cm
血液型  AB型
所属   バーニングプロダクション

長山洋子の小学校

長山洋子さんの出身小学校は 大田区立東蒲小学校

東京都大田区出身。姉がいる2人姉妹の妹。
父親は演歌と民謡が大好きで、家では流れる音楽は演歌と民謡だけだったといいます。
父親は民謡教室に通っていて、一緒にいったことがきっかけで幼稚園の時に自ら頼んで父親と一緒に民謡教室に通い始めました。

小学校は 東京都大田区東蒲田1丁目にある大田区立東蒲小学校に入学。
小学生の頃には民謡以外にもそろばん、習字。英会話、三味線、琴なども習っていました。
三味線は民謡教室の先生の勧めで小学4年生にのと時に始め、父親に三味線を買ってもらいましたが、後になってその三味線の値段は車1台分だったことを知ったといいいい、演歌歌手になった後も愛用しているといいます。
三味線を始めたのと同時期に倍率は100倍以上ともいわれたビクター少年民謡会に合格し所属しました。

長山洋子の中学校|歌手デビューのきっかけ

長山洋子さんの出身中学校は 大田区立東蒲中学校

大田区東蒲田2丁目にある公立中学校。
中学時代にはテニス部に所属していましたが、民謡や三味線は続け、ビクター少年民謡会にも所属していました。

歌手デビューのきっかけは『8時だョ!全員集合』(TBS)への出演でした。
同番組の子供が講師となってゲストに民謡を教えるコーナーの講師役でい出演したことで、芸能事務所にスカウトされました。

長山洋子の高校|演歌でデビュー予定がアイドルでデビュー

長山洋子さんの出身高校は 堀越高校 芸能活動コース(偏差値38)

東京都中野区中央2丁目にある男女共学の私立高校。
芸能活動コースは現在のトレイトコースです。
同級生には本田美奈子さん、南野陽子さん、永瀬正敏さんなどがいました。

芸能活動コースのある同高校に入学し、中学生の時から1年半以上ボイストレーニング、レッスンを重ね、演歌歌手としてのデビューが決定。
曲も『雪国』という曲に決まり、レコーディングの準備をしていましたが、デビュー4ヶ月前に「16歳の洋子に演歌は早い。」と方針が変更され、1984年4月1日に『春はSA・RA SA・RA』でアイドル歌手デビュー。
オリコン最高順位は41でした。
高校卒業後は大学などには進学せず歌手活動に専念しています。

長山洋子の学歴

長山洋子の学歴

小学校  大田区立東蒲小学校
中学校  大田区立東蒲中学校
高校   堀越高校
大学   進学していません

アイドルから演歌歌手に転向

デビュー後はなかなかヒット曲には恵まれませんでしたが、2016年10月21日に発売した8枚目のシングル『ヴィーナス』がオリコン10位になり初のトップ10位入り。
9枚目の『ユア・マイ・ラヴ』が8位になり、その後も『悲しき恋人たち』、『星に願いを/ハートに火をつけて』、『反逆のヒーロー』と3曲r連続で10位になりました。
アイドルとしては1990年8月21日の『If We Hold On Together』まで17枚発売。ドラマを中心に俳優としても活躍しました。

アイドルとして10年経った時に「そろそろ演歌に転身してみないか」との話が出て、1993年1月21日の『蜩-ひぐらし-』で演歌歌手デビュー。
オリコンは18位に入り、ロングセラーでは42.1万枚の売上げを記録。
同年に第44回NHK紅白歌合戦に初出場を果たし、以降、紅白歌合戦には2007年までで14回出場しました。

結婚や夫、子供

長山さんは2009年4月、41歳の時に1歳年下でアメリカ人ののマーク・スミスさんと結婚。
夫のマークさんはIT関連の人材派遣会社社長。
1994年にアメリカのIT企業の社員として来日し、2004年に独立しました。
馴れ初めは2006年9月に放送されたバラエティ番組『世界バリバリバリュー』(TBS)の独身の女性芸能人が独身社長と出会って一日過ごすという企画でした。
演歌が好きだったマークさんが一目惚れし、熱烈なアタックで交際がスタートしたといいます。
子供は娘が1人で、2010年8月に誕生しています。

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