「恋のハレルヤ」「天使の誘惑」などのヒット曲を持ち、パンチの効いた歌声で知られる歌手の黛ジュンさん。
この記事では黛ジュンさんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
黛ジュンの経歴・プロフィール
黛ジュンの小学校
黛ジュンさんの出身小学校は 豊島区立高松小学校
東京都調布市出身。出生名は渡辺 順子(わたなべ じゅんこ)。
父親、母親、2人の兄、弟の6人家族。次兄は作曲家の三木たかしさん。
父親は事業をしていました。
幼少期から歌手志望だった母親に美空ひばりさんや島倉千代子さんなどのを流行歌を聞かされて育って歌が好きになり、毎日ちゃぶ台の前で歌い、家族からは厳しくダメ出しされていたといいます。
4歳から歌、バレエ、日本舞踊などを習っていました。
性格は内向的でしたが頑固で、納得がいかないと泣きわめいて抵抗したといいます。
小学校は 東京都豊島区高松2丁目にある豊島区立高松小学校に入学しましたが、父親の事業が失敗し多額の借金を抱え一家で夜逃げ。
電気代が払えずろうそくで暮らし、出前のツケがたまると夜逃げを繰り返していたといいます。
9歳の時から次兄に三木たかしさんと家計を助けるために、流しや前座の歌手などを務めていました。
黛ジュンの中学校|歌手デビューするも売れず
黛ジュンさんの出身中学校は 品川区立冨士見台中学校
東京都品川区西大井5丁目にある公立中学校。
中学時代に本名の「渡辺順子」名義でデビューし、3枚のシングルをリリースしましたがヒット曲はでませんでした。
高校に進学したかどうかは不明です。
黛ジュンの学歴
天使の誘惑が大ヒット
中学卒業後も米軍キャンプでジャズやビートルズを歌い歌手活動を続けました。
黛さんの歌を聞いたラジオ局のディレクターに声をかけられデモテープを作成し、レコード会社に持ち込みましたが、「君のポップスは声に特徴がありすぎる」とほとんどのレコード会社に断られました。
その後、1967年に石原プロモーションへ移籍し「黛ジュン」に改名。
1967年2月15日に『恋のハレルヤ』で再デビューするとミニスカート姿とパンチの効いた歌声で一躍注目され、1968年5月1日に発売した4枚目のシングル『天使の誘惑』が大ヒット。
同年の第18回NHK紅白歌合戦に初出場。翌年の1968年には「第10回日本レコード大賞」を受賞しました。
紅白歌合戦には1970年の第21回まで、4年連続で通算4回の出場を果たしました。
シングルは2016年までで40枚発売しています。
結婚歴や夫、子供
黛さんには2度の結婚歴があり、最初の結婚は1970年、22歳の時でした。
相手は5歳年上でスタジオミュージシャンの江藤勲さん。
結婚後は一時芸能活動を引退してましたが、結婚3年目の1973年に離婚。
離婚後は芸能界に復帰しました。
再婚したのは1990年、42歳の時で夫はドラマーの石田秀雄さん。
結婚4年目の1994年に離婚しています。
2度の結婚とも子供はいませんでした。
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