「おもいで酒」などのヒット曲を持ち、紅白歌合戦の衣装なども話題になった演歌歌手の小林幸子さん。
小学生だった10歳の時にデビューしました。
この記事ではさんの学歴、経歴、生い立ちや、デビューのきっかけ、結婚歴や夫などについて紹介しています。
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小林幸子の経歴・プロフィール
小林幸子の小学校 10歳で歌手デビュー
小林幸子さんの出身小学校は 新潟市立栄小学校
新潟県新潟市出身。姉が2人いる3人姉妹の末っ子。
実家は新潟市内で肉屋「小林精肉店」を経営していました。
母親は決断力があり竹を割ったような性格で、父親は元会社員でしたが、戦後に「肉の時代が来る」と直感した母親が父親を説得して肉屋を始めたといいます。
小学校は新潟県新潟市中央区栄町にあった新潟市立栄小学校に入学。
同小学校は2015年に周辺の4校と統合され閉校になり、新潟市立日和山小学校が新設されています。
父親は若い頃の歌手になりたいと思っていた音楽好きで、戦争などもあり歌手の夢は実現できませんでしたが、実家にはレコードがたくさんあり、その影響で幼少期から小林さんも歌が好きになりました。
小林さんの歌を聞いた父親が、9歳の時にTBSで放送されていた素人のモノマネ番組『歌まね読本』に応募。
「東京見物」に行くと言われて連れ出され、出場するとグランドチャンピオンに獲得し、審査委員長の古賀政男さんにスカウトされました。
1964年に家族と共に上京。同年6月20日、10歳の時に『ウソツキ鴎』で歌手デビューすると、同曲は20万枚を売り上げるヒット。
翌年の1965年には映画『座頭市二段斬り』、ドラマ『くらやみ五段』に出演し子役としても活動しました。
小学校は東京都新宿区四谷2丁目にある新宿区立四谷第四小学校に転校して卒業しました。
小林幸子の中学校・高校 連続ドラマで主演
小林幸子さんの出身中学校・高校は 麹町学園女子中学校・麹町学園女子高校
東京都千代田区麹町3丁目にある私立の女子校。
中学校の偏差値は44、高校の偏差値は53。
出身者には俳優の中田喜子さん、アナウンサーの薮本雅子さんなどがいます。
中学1年生だった1966年7月からは日本テレビのバラエティ番組『九ちゃん!』に「チビッコトリオ」としてレギュラー出演。
1968年にはNET(現・テレビ朝日)で放送された浅春ドラマ『青い太陽』に主演。
背泳ぎでオリンピック出場を目指す高校の水泳部員・杉田和世を演じ、主題歌の『青い太陽』と挿入歌も歌いました。
「第2の美空ひばり」と騒がれましましたが、その後は歌手業ではヒット曲が続かず、以降は長く不遇の時代が続きました。
小林幸子の学歴
10年の低迷期
「第2の美空ひばり」と呼ばれましたが、お手本としていたはずの美空ひばりさんのの母親からは「あまりにもひばりを模倣している」と敬遠され、仕事も減っていったといいます。
高校入学後からの約10年は1人で全国を行脚するなど苦労しました。
昼間は各地で歌いながら、地元のレコード店やラジオ局、有線放送局を廻り、夜には飲み屋やキャバレーなどで泥酔客に絡まれながら歌っていたといい、1971年1月には東京銀座の高級クラブ「ピロポ」でホステスとして働いていると報じられています。
1977年、23歳の頃にはは雑誌『週刊プレイボーイ』、『平凡パンチ』などのグラビアなどにも登場しました。
「おもいで酒」が大ヒット
1979年1月25日、25歳の時に発売した28枚目のシングル『おもいで酒』が有線放送から徐々に知名度が上がり、大阪有線放送局で初の総合1位を獲得。
注目されたことでジャケットと曲順を変更して再発売すると、累計200万枚の大ヒットを記録。
1979年末の第30回紅白歌合戦に初出場を果たし、全日本有線放送大賞グランプリ、第21回日本レコード大賞の最優秀歌唱賞を受賞しました。
紅白出場歴と衣装のきっかけ
『おもいで酒』の大ヒットの翌年の1980年1月1日に発売した29枚目の『とまり木』もヒットし約60万枚売上げ、紅白歌合戦には2011年まで33回連続で出場。
1981年に出場した時に歌唱した『迷い鳥』に合わせ衣装も手を広げると翼に見える、スパンコールるがついた衣装が評判がよかったことがきっかけで衣装が派手になり、2000年まで豪華で大掛かりな衣装が話題になりました。
2015年には特別企画として4年ぶりの紅白歌合戦に出場しました。
結婚歴や夫、子供
小林幸子さんが2011年11月、57歳の時に8歳年下で医療関連会社社長の林明男さんと結婚。
小林さんは初婚でしたが、夫の林さんは離婚歴があり再婚でした。
馴れ初めは倍賞千恵子さんとの食事会で、約6年の交際を経て結婚しました。
子供はいません。
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