川﨑麻世の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 川崎麻世 俳優

元アイドルでミュージカルしえ、舞台俳優として活躍する川崎麻世ささん。
カイヤさんとの離婚後はタワマンに住んでいるといいます。
この記事では川﨑麻世さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

川﨑麻世の学歴

川﨑麻世の学歴

小学校  枚方市立枚方小学校
中学校  練馬区立石神井中学校
高校   堀越高校
大学   東京工芸大学短期大学部

川﨑麻世の小学校

川﨑麻世さんの出身小学校は 枚方市立枚方小学校

1963年3月1日、両親の故郷の京都市北区上賀茂で一人っ子として生まれました。
父親は元京都松竹の映画俳優・安住譲さん。
1歳の時に両親が離婚、母親に引き取られて祖父母と共に大阪府枚方市で育ちました。

幼少期は父親は事故で死んだと聞かれていましたが、30歳の時に再会。
その時、父親は末期がんを患っていて、再会の半年後に亡くなっています。

実家は枚方公園駅近くの母親が経営する喫茶店「コハク」。
小学生の頃は肥満児で、本名の「麻世」がめずらしい名前だったことから、「麻世が徹夜したら麻世寝~ず」などとからかわれたことがあったそうです。

川﨑麻世の中学校

川﨑麻世さんの出身中学校は 練馬区立石神井中学校

中学校は枚方市立枚方中学校に入学。
1975年、中学1年生の時に、よみうりテレビで放送されていた『プリン・キャッシーのテレビ!テレビ!!』の素人参加コーナー「パクパクコンテスト」に出場し、西城秀樹さんのフリ真似をしてグランドチャンピオンを獲得。
この番組を見たジャニー喜多川さんの目に留まり、スカウトされて1976年10月の上京。
中学校は練馬区立石神井中学校に転校し、親戚のプロカメラマン・島津久純さんの自宅に下宿していました。

1977年1月、14歳の時にに『ラブ・ショック』でアイドル歌手デビュー。 同期デビューは榊原郁恵さん、太川陽介さん、大場久美子さんなど。
オリコンチャートは最高64位でしたが、ブロマイドはヒットし、NHKの人気音楽番組『レッツゴーヤング』に「サンデーズ」のメンバーとしても起用され、人気アイドルになりました。

川﨑麻世の高校

川﨑麻世さんの出身高校は 堀越高校 芸能活動コース(偏差値38)

東京都中野区中央二丁目にある男女共学の私立高校。芸能コースは現在はトレイトコース。
同級生には香坂みゆきさん、浜田朱里さんなどがいました。

高校時代も人気絶頂で、通学時には200人もの女の子がゾロゾロついてきて、途中でファンレターやプレゼントももらい、毎日カバンはパンパンになっていたといいます。
毎朝、学校ではカバンの検査があり、当初は没収されていましたが、毎日続いたため、そのうち何も言われなくなったそうです。

川﨑麻世の大学

川﨑麻世さんの出身大学は 東京工芸大学短期大学部 画像技術科グラフィックデザインコース(偏差値-)

東京都中野区本町にあった、私立の短期大学で、写真技術科、写真応用科、画像技術科が設置され、カメラ技術などを学べる学校でした。
東京工芸大学がに芸術学部が設置されたことから、1997年に廃止。偏差値は不明でした。
出身者には女優の中村あずささん、シシドカフカさんなどがいます。

大人気だった川崎麻世さんですが、田原俊彦さん、野村義男さん、近藤真彦さんのたのきんトリオが台頭して以降は、アイドル歌手として存在感が薄くなっていきました。
所属事務所は川崎さんを、舞台俳優として成功させたいとの思いがあったことから、諸費用を全部事務所が負担し、ミュージカルを学ぶためにニューヨークに留学。
1983年、20歳の頃からは劇団四季『キャッツ』など舞台俳優として活躍。
同年に短大を卒業しました。

川﨑麻世の経歴・ミュージカル俳優として活躍

川﨑麻世のプロフィール

名前   川﨑麻世
生年月日 1963年3月1日
出身   大阪府枚方市
身長   182cm
血液型  B型
所属   プラチナムプロダクション

日本で舞台で活動後、渡米しアメリカでも活動。
帰国後、日本で1988年11月から1989年1月に行われたミュージカル『スターライト・エクスプレス』に唯一の日本人キャストとして、新幹線・ハシモト役で出演。

1998年には千葉県松戸市の「ミューラスアクターズスクール」の特別講師にを務めました。

ミュージカル中心の活動ですが、ドラマ、映画でも活躍し、2023年には3本の出演映画公開されています。

川﨑麻世とカイヤの馴れ初めや子供

川崎麻世さんとカイヤさんが結婚したのは、1990年。
川崎さんは27歳、1歳年上のカイヤさんは28歳でした。

カイヤさんは1983年、19歳の頃から「キャロリン・ハイガー」名義でファッションモデルとしてアメリカ、イタリア、フランス、ドイツ、日本などで活動し、ファッション雑誌「VOGUE」などでも活躍。
1987年には日本のユニチカスイムウェアキャンペーンモデルを務めました。

川崎さんとカイヤさんの馴れ初めは、1987年のマイケル・ジャクソンさんの来日パーティーでした。
六本木の「レキシントンクイーン」で開かれたパーティーでカイヤさんはマイケル・ジャクソンさんのバックバンドのひとりにしつこく口説かれ断ると、暴言を吐かれたたそうです。
傷ついたカイヤさんは泣き出してしまい、それを見た川崎さんが心配して声をかけたことが出会いでした。

子供は娘と息子の2人を授かっています。
1990年に長女の恵斗(けいと)さん、1996年に長男の至恩(しおん)さんが誕生しました。

川﨑麻世とカイヤの離婚理由

離婚は裁判で争われ、2020年2月に東京家裁で離婚を認める判決を下しましたが、カイヤさんが控訴。
2023年9月に東京高裁で棄却され、カイヤさんが上告しなかったため判決は確定しました。

離婚の原因は結婚3年目、1993に報じられた斉藤由貴さんと川崎さんの不倫で、謝罪会見はカイヤさんも同席し、見られながら行い話題になりました。
会見中、カイヤさんは川崎さんを睨みつけていたことから、「恐妻夫婦」というイメージが定着。

以降も川崎さんには女性関係の噂があり、関係は悪化。
カイヤさんが自宅の鍵を交換して川崎さんは車で寝泊りしていることが報じられ。2000年頃から別居。

当初は別居しながらも離婚はせず、相談しあうこともあると話していましたが、その後、関係は悪化。2018年10月に川崎さんが離婚裁判を行っていることを明かし、2019年にはカイヤさんが慰謝料2000万円を求めて反訴。
判決確定までには5年かかっています。

離婚成立後、2023年11月にはブログで人生初のタワマンに引越したことを明かしました。

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