秋野太作の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 秋野太作 俳優

劇団俳優座の出身で、テレビドラマ『俺たちの旅』で人気を集めた秋野太作さん。

『男はつらいよ』では寅さんの弟分を演じたこともあります。

この記事では秋野太作さんの学歴、経歴、生い立ちを紹介しています。

秋野太作の学歴

秋野太作の学歴

小学校  不明
中学校  文京区立第六中学校
高校   文京高校
大学   日本大学

秋野太作の小学校

秋野太作さんの出身小学校は 不明

東京市深川区(現・東京都江東区深川)で生まれ、生後すぐに母親の実家の大分県杵築市に疎開、4歳の時に東京に戻り、以降は東京都文京区で育ちました。

本名は津坂 匡章(つさか まさあき)。

父親は第一勧銀(現在のみずほ銀行)に勤務、母親は戦争で前夫を亡くした再婚で、父親違いの兄が2人、4歳年下の弟がいます。

母親は東京に戻った1ヵ月後に亡くなりしました。

東京で父親との生活が始りましたが、父親は戦後は銀行を辞めて印刷会社を起業、朝から晩まで働いていたため、子供たちの面倒が見られず あちこちに預けられて育ち、土曜日になると父親に会いに行って一緒に過ごし、翌日にお小遣いを貰って帰る生活をしていたそうです。

小学生なると一緒に暮らすようになり、10歳の時に父親は再婚しました。

秋野太作の中学校

秋野太作さんの出身中学校は 文京区立第六中学校

中学の同級生には後に政治家になる小沢一郎さんがいました。

父親の再婚した相手は。シンデレラの継母ような典型的な継母だったといい、暴力を振るわれたこともあったといいます。

父親はとても優しい人で、殴られたことはもちろん、怒鳴られたこともなかったといい、再婚相手の暴力を知り慰めさられましたが、優しすぎて追い出すことは出来ず、秋野太作さんは父親にあるとき、

『人生で気をつけることが3つある。女、カネ、健康だ』

と言われたそうです。

秋野太作の高校

秋野太作さんの出身高校は 文京高校 (偏差値62)

東京都豊島区西巣鴨一丁目にある、男女共学の都立高校。出身者には俳優の広川太一郎さん、土田大さんなどがいます。

高校時代は自衛隊に入隊したいと思い、自衛隊のパイロット試験を受け、最終の身体検査まで進みましたが、前日に悩んだ末に辞め、大学進学に進路を変更しました

秋野太作の大学

秋野太作さんの出身大学は 日本大学 法学部(偏差値52)

大学在学中の1966年、20歳の時に俳優を目指し俳優座養成所第15期生として入所。

養成所に入所したことを父親に伝えると喜んで、大卒の給料が2万5000円の時代に、毎月3万円を3年間援助してくれたそうです。

大学は2年で中退しました。

秋野太作の経歴

秋野太作のプロフィール

名前   秋野太作
生年月日 1943年2月14日
出身   東京市文京区
身長   170cm
血液型  O型
所属   グランパパプロダクション

1967年1月、NETテレビ(現・テレビ朝日)の『徳川の夫人たち』でドラマデビュー。

1968年10月からドラマ『男はつらいよ』で、寅さんの舎弟でとら屋の従業員・川又登 役を演じ、翌年の1969年8月から公開され映画『男はつらいよ』の第1作でも同じ役を演じました。

映画『男はつらいよ』には1984年まで8作に出演しています。

1975年には1年間放送されたドラマ『俺たちの旅』(日本テレビ系)で、女性からモテモテの熊沢伸六/グズ六 役を演じ人気となり、ドラマは1985年、1995年、2003年にスペシャルドラマが放送されました。

秋野太作の妻と子供

秋野太作さんの結婚歴は2回で、最初の妻は女優の太地喜和子さん。

1970年に結婚しましたが、短期間で離婚しています。

再婚したのは1975年で妻は台湾出身で、元宝塚の温碧蓮さん。
子供は息子が1人と娘が2人の3人。

次女の津坂早紀さはモデル、1995年にファッション雑誌『mc Sister』の専属モデルとしてデビューし、その後は2008年頃まで、女優として舞台やドラマに出演していました。

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