平野レミの学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 平野レミ タレント

自由奔放なキャラクターで知られる料理愛好家の平野レミさん。
夫とは出会って10日で結婚しました。
この記事では平野レミさんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

平野レミの学歴

平野レミの学歴

小学校    松戸市立中部小学校
中学校    不明
高校     上野高校
専修学校   文化学院

平野レミの小学校

平野レミさんの出身小学校は 松戸市立中部小学校

東京都台東区生まれ、千葉県松戸市塩育ち。父親はフランス文学者の平野威馬雄(ひらの いまお)さん。祖父は祖父はスコットランド系アメリカ人で法律家・日本美術愛好家のヘンリイ・パイク・ブイさん。2歳年下の妹がいる2人姉妹。
平野さんはクォーターになります。

母親は料理上手な、優しくでおっとりした人で、父親は陽気で人が大好きな人だったといい、両親共に「ああしちゃダメ」「こうしちゃダメ」と言わない人で褒められて自由奔放に育てられたそうです。
母親は毎朝鰹節を削り、その音が目覚まし代わりだったといい、平野さんも子供の頃から料理が好きで、小学生の時に初めて1人で勝手に作った普通の料理はカレーでした。
実家は周辺は緑豊で、子供の頃は庭の木に登り、野山を駆けまわって遊んでいたといいます。

平野レミの中学校

平野レミさんの出身中学校は 不明

松戸市立中部小学校を卒業した生徒の学区内での指定校は、松戸市立第一中学校ですが、そこに入学したかは不明でした。

中学時代は卓球部に所属。夏休みには部活のみんなと蓼科高原にキャンプに行って料理当番を担当しカレーを作りました。
そのカレーは辛かったとそうで、同窓会に行くと「レミのカレーは辛かったなあ」と言われるといいます。

平野レミの高校

平野レミさんの出身高校は 上野高校 (偏差値62)

東京都台東区上野公園にある男女共学の都立高校。
2006年までは通信制、2009年まで定時制課程があり、多くの著名人を輩出。出身者には俳優の山崎努さん、浅野温子さん、鈴木杏樹さんなどがいます。

現在も偏差値60台の進学校ですが、平野さんが通っていた時代は東京大学に合格者を何人も出すレベルの高校でした。

『机の下でアンチョコ(カンニングペーパー)見ながら本当にさも訳してるようにゆっくりゆっくり読んだのよね。そしたらみんながクスクス笑い出し、先生も「君、訳してるところ、1ページ違うよ」って。もう学校イヤって思って、その授業が終わるか終わらないうちに「先生さようなら、みなさんさようなら」と言って、それっきり学校行きませんでした。』

1年生の時には勉強していましたが、2年生になると校則などの不自由さなどもあって嫌になり、勉強をしなくなって高校に通わなくなり、中退しました。

高校の中退にも父親は反対せず「レミにはもっといい学校あるからそこ行け」と応援してくれたといいます。

平野レミの専修学校

平野レミさんの出身専修学校は 文化学院

高校中退後は、高等専修学校の文化学院に入学。
東京都墨田区両国にあった美術、文芸、音楽、演劇などを学べた専修学校で、2018年に閉校になっています。

自宅にたくさんあったシャンソンのレコードを聴いて興味持ち、文化学院在学中に父親の知り合いだった声楽家の佐藤美子さんからシャンソンを学びました。

平野レミの経歴

平野レミのプロフィール

名前   平野レミ
生年月日 1947年3月21日
出身   東京都台東区
血液型  O型
所属   Remix

シャンションを学び、日航ホテルのミュージック・サロンのオーディションを受けて合格し、歌手としてステージデビューすると、レコード会社から声がかかり、1970年に『誘惑のバイヨン』の歌手デビュー。

シャンションを希望しましたが「シャンソンはまだ君には早いから」と歌謡曲でのデビューとなり、その後もシャンソンは歌わせてもらえず4曲目は『かもねぎ音頭』のタイトルで、銀座で籠にねぎを背負ってプロモーション活動をやらされそうになったために、レコード歌手生活は辞めたといいます。

その後、TBSラジオのディレクターから声がかかり、『キンキン・ケンケンのそれ行け!歌謡曲』内のコーナー『ミュージック・キャラバン』で久米宏さんのアシスタントとを担当しました。

平野レミの結婚や夫、子供

平野レミさんが結婚した1972年、25歳の時でした。
夫は11歳年上でイラストレーター、グラフィックデザイナー、映画監督の和田誠さん。

馴れ初めは平野さんが出演していたラジオ番組で、ラジオでの平野さんのキャラクターに和田さんが惚れ込んだことで、TBSで初めて会いました。

和田さんがTBSの喫茶店で平野さんを待っていた時、黒柳徹子さんがたまたまきて、「何してるの?」と聞くと和田さんは

『これから嫁が来るんだよ!』

と答えたといいます。

最初の食事から10日後に、和田さんが、

『結婚しちゃおうか』

と言うと、平野さんは、

『しましょう、しましょう、しましょうよ!』

と答えてそのまま結婚したそうです。

おしどり夫婦として知られましたが、夫の和田誠さんは2019年10月に肺炎のため83歳で死去しました。

子供は息子が2人で、1975年に長男の唱(しょう)さん、1979年に次男の率(りつ)さんが誕生。

長男の和田昌さんはロックバンド・TRICERATOPS(トライセラトップス)のボーカル・ギターで、2016年5月に女優の上野樹里さんを結婚。

次男の和田率さんは大手広告代理店・電通にCMプランナーとして勤務した後、平野さんも参加する『remy』を設立。オリジナル・キッチンウェアの企画開発をしています。

平野レミが料理愛好家になったきっかけ

平野レミさんは結婚後には主婦業、育児に専念していました。

夫の和田誠さんはよく自宅に人を招き、平野さんは冷蔵庫にあるもので簡単な家庭料理を作って出していたそうです。

グルメで雑誌でエッセイを書いていたジャズピアニストの八木正生さんが来た時、平野さんの料理を気に入り、次のエッセイの書き手として平野さんを指名。

エッセイを書いた雑誌が発売されると、その日から料理の仕事が来るようになり、NHK『きょうの料理』で料理愛好家デビューしました。

番組ではトマトと牛肉を炒める料理を作り、いつも自宅でやっているようにトマトを切らずにつぶすと、「下品なやり方」とNHKに抗議の電話殺到し、プロデューサーにも注意されましたが、数日後には「ユニークで面白い」と話題になり、料理の仕事が増えたそうです。

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