日本人離れした美貌で、日本人として初じめてのボンドガールを務めた浜美枝さん。
40代には事実上女優は引退しています。
この記事では浜美枝さんの学歴、経歴、生い立ちやデビューのきっかけなどについて紹介します。
浜美枝の経歴・プロフィール
浜美枝の小学校
浜美枝さんの出身小学校は 不明
東京都江東区亀戸出身、兄1人と弟2人いる4人兄弟。
両親共に日本人でハーフではありません。
実家はダンボールを作る工場を経営していましたが、東京大空襲で全焼。 空襲の前日に母親が胸騒ぎがしたといい、横浜の知人宅に身を寄せていたため家族は無事でしたが、近所に住んでいた10代の女子工員23人は全員空襲で亡くなったそうです。
焼け出された後は川崎市に移り、長屋の6畳ひと間で生活しました。
出征していた父親は、終戦後に無事に帰還しましたが抜け殻のようになり、自宅でぼうぜんとする日が長く続き、母親が昼夜は働いて、浜美枝さんが子供の頃から母親の変わりに家事をやっていたといいます。
過酷な戦場を目の当たりにして、生き延びて帰還した元兵士の中には今で言う「PTSD」で当たり前の日常生活が送れなくなる人が少なからずいました。
浜美枝さんの父親もその1人で、帰還後、10年近く働けない日々が続き、浜美枝さんは父親が何かを耐えているように見えたといいます。
浜美枝の中学校
浜美枝さんの出身中学校は 川崎市立中原中学校
中学時代に図書館で借りた柳宗悦の本を読んで民藝運動に興味を持ちました。
民藝運動とは手仕事によって生み出された日常づかいの雑器に美を見出そうとする運動で、「民藝」は「民衆的工藝」の略で、美術評論家の 柳宗悦さんらの造語です。
中学卒業後は高校には進学せず、東京急行電鉄(東急)自動車部(現在の東急バス)に入社。
路線バスの車掌として勤務しました。
浜美枝の学歴
女優デビューのきっかけ
1959年、16歳の時、東宝映画『侍とお姉ちゃん』宣伝を兼ねたコンテストに応募したのがきっかけで、スカウトされて東宝に入社。
翌年の1960年に映画『若い素肌』で女優デビュー。
クレージーキャッツのメンバーが主演を務める『クレージー映画』のマドンナの常連で、主に植木等さんの相手役を務め、日本人離れした見た目から、外国人やハーフなどの役柄も多く、女スパイや殺し屋なども演じました。
日本初のボンドガールに抜擢
1967年公開の、007シリーズ『007は二度死ぬ』で日本人として始めてのボンドガール・キッシー鈴木 役を演じました。
ボンドガールの配役は、1962年に浜美枝さんが出演した映画『キングコング対ゴジラ』を観たスタッフからの指名だったそうです。
1970年に東宝を退社、以降は『小川宏ショー』(フジテレビ)、『八木治郎ショー・いい朝8時』(毎日放送)などの司会を務め、ラジオのパーソナリティも務めるなど、タレントとしても活躍。
ライオンの洗濯用洗剤『トップ』のイメージキャラクターも長年務めました。
1990年代初頭、40代後半に女優業は実質引退、以降は、長年の夢だった農業支援の活動を始め、環境・農・食問題について研究するライフコーディネーターとしても活動しています。
結婚や夫、子供
浜美枝さんは1969年、26歳の時に、当時フジテレビ社員だった4歳年上の金子満さんと結婚。
金子さんはアニメを制作し、『日本のコンピュータグラフィックスの父』と称される人物です。
子供は娘が2人、息子が2人の4人誕生しました。
2021年には、次男夫婦と箱根で一緒に生活していると話しています。
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