山田洋次監督映画『男はつらいよ』シリーズやドラマ『渡る世間は鬼ばかり』の出演で知られる俳優の前田吟さん。
高校は通信教育で卒業しました。
この記事では前田吟さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
前田吟の学歴
前田吟の小学校
前田吟さんの出身小学校は 防府市立牟礼小学校
山口県防府市生まれ。本名は前田 信明(まえだ のぶあき)。
父親は同盟通信(現・共同通信)山口支局に勤務していた記者、母親はタイプライターの先生。
父親は1945年8月6日の広島市への原爆投下の日に広島市にいて消息を絶ち、母親はシングルマザーとして出産しましたが路頭に迷い、生後100日で子供のいなかった老夫婦に謝礼をつけて、養子に出しました。
養父母を本当に両親だと思って育ち、4歳の時に養母が他界。
小学4年生の養父がいなかったこ時に、小遣いをくれた女性がいて、それを見ていた近所の人に、
『お小遣いをくれに来たあの人が、あんたの本当の母親だよ』
教えられ、育ててくれていたのは実の両親ではないこと知りました。
小学6年生の時に学芸会で『西遊記』の沙悟浄(さごじょう)を演じると、先生に絶賛され、
『将来は俳優になりなさい』
と言われ、これがきっかけ映画や講談、落語などに興味を持つようになったといいます。
前田吟の中学校
前田吟さんの出身中学校は 防府市立国府中学校
中学1年生の終わりに養父も他界。その後は養父の妹やその息子、実母の姉など親戚中を転々としました。
中学3年生の時には、友人たちと剣道部を創設しています。
前田吟の高校
前田吟さんの出身高校は 防府高校(偏差値23~62)
山口県防府市岡村町にある男女共学の県立高校。普通科と衛生看護科があり、偏差値は普通科が62、衛生看護科が53。
出身者には俳人の種田山頭火さん、作家の伊集院静さんなどがいます。
中学卒業後は働く予定でしたが、勉強すると学校で1番を争うほど成績が上がり、当時、育ててくれていた叔父が中卒で働かせるわけにはいかないと、実母の親類と交渉してくれて、実母の姉のところに預けられ、防府高校に進学しました。
実母が援助をしてくれていましたが、1年生の時に実母の再婚で送金が止まってしまったため、高校は1年で中退。
中退後は大阪に出て.家具屋などさまざまな職を転々としながら、1962年には通信教育で高校の卒業資格を取得しました。
前田吟の経歴
大阪で働いていた時に、黒澤明監督の『野良犬』や『七人の侍』を見て感動したことで俳優を志し、1962年に18歳で上京。
東京芸術座研究所に第1期生として入所し、翌年の1963年には劇団俳優座養成所に15期生として入所。
同期には原田芳雄さん、赤座美代子さん、夏八木勲さん、小野武彦さん、村井国夫さんなどがいて、15期生は『俳優座花の15期生』と言われます。
1964年、『判決』(テレビ朝日)でドラマデビュー、1967年8月公開の映画『網走番外地 悪への挑戦』で映画デビューしました。
1968年1月公開の映画『ドレイ工場』に誠実な工員役で出演すると、その演技が山田洋次監督の目に留まり、翌年の1969年8月に公開去れた『男はつらいよ』第1作に寅次郎の妹さくらに惚れる印刷工・諏訪博役として出演。
この役がハマり、その後はさくらと結婚した博としてシリーズ50作全てに出演しました。
1990年からはドラマ『渡る世間は鬼ばかり』(TBS)に野田良 役で出演し、2019年まで出演しました。
前田吟の妻と子供
前田吟さんの結婚歴は2度。
最初の結婚は1964年、20歳の頃で、妻は芸術座の2学年上の女優。
子供は息子が4人で、長男は結婚後すぐに誕生しました。
長男はテレビ東京に勤務、次男は前田淳の名前で俳優をしています。
三男は建設関連の仕事で、四男はプロダンサーで社交ダンスの教室を開いているといいます。
妻は2021年にすい臓がんで他界しました。
再婚したのは2022年、78歳の時。妻は5歳年下の歌手・箱崎幸子さん。
気晴らしで行ったスナックで歌っていた幸子さんと出会い、帰り際に手渡されたCDを聞くうちに歌声に惹かれ、前田さんからのアプローチで 出会って3ヶ月で再婚しました。
幸子さんも再婚で、22歳の時にに演歌歌手の箱崎晋一郎さんと結婚しましたが、1988年に死別。
その後は、ラウンジを経営しながら、1男2女を育てたといいます。
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