野口健の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 野口健 その他

エベレスト登頂に2度失敗し、3度目の挑戦で登頂に成功したアルピニストの野口健さん。
環境学校や富士山での清掃活動などの環境活動家として知られます。
この記事では野口健さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

野口健の学歴

野口健の学歴

小学校  立教英国学院小等部
中学校  立教英国学院中等部
高校   立教英国学院高等部
大学   亜細亜大学

野口健の小学校

野口健さんの出身小学校は 立教英国学院小等部

1973年8月21日、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン市生まれ。
父親は外交官、母親は元キャビンアテンダントのギリシャ系エジプト人でハーフ。5歳年上の兄と異父の弟と妹がいる4人兄弟の次男。
母方の祖父はエジプトとレバノンのハーフ、祖母はギリシャとフランスのハーフだといいます。

ボストンで生まれた後、生後4ヶ月でサウジアラビアでに移り、4歳の時に初めて日本の地を踏みました。
世田谷区の幼稚園に入りましたが、それまではアラビア語を話していたため、当時は日本語が話せず、よくいじめられていたといいます。
当時は流暢に話せましたが、いじめられることが話さなくなり、そのうちアラビア語はまったく忘れてしまったそうです。
小学校は世田谷区立駒繋小学校入学しましたが、9歳、小学3年生の時に父親の転勤でエジプトに移り、エジプトの日本人学校に転校。この頃もまだ日本語の読み書きは苦手でした。

12歳の時に母親の不倫が原因で両親は離婚。
父親に引き取られ、その後、父親がイギリス転勤になり、小学6年生からロンドンから電車で2時間くらいの郊外にある、全寮制の立教英国学院小等部に入学しました。
規律はとても厳しく、エジプトでは自由な生活だったこともあり、寮での生活になかなか馴染めなかったそうです。

野口健の中学校

野口健さんの出身中学校は 立教英国学院中等部

併設されている系列の同中学校にそのまま進学しました。
中学、高校時代は写真部に所属。当時はジャーナリストになりたいと思ってたといいます。
勉強にはついていけず成績は悪かったといい、高校に上がる時には、進級を認めるかどうかについて先生の間で激論があり、校長先生が、

『野口は勉強はできないが、何かエネルギーのようなものを持っている。それを良い方向へ向かわせるのが教育ではないか』

とかばってくれたことを後に聞いたといいます。

野口健の高校 登山を開始

野口健さんの出身高校は 立教英国学院高等部

高校には進学できたものの「仮進級」という立場でした。
「仮進級」は毎日、補習があり、学園祭やクラブ活動にも参加できないなど制限があったといいます。
同級生からは「仮」とバカにされ、次第に荒れてゆき、15歳の時にささいなことから先輩を殴ってしまい、1ヶ月の停学処分となりました。
停学中は父親が一時帰国していた日本に帰り、父親には、

『一流大学、一流企業に入ることなんか大したことじゃない。オレも東大を出て外交官になったが、辞めたらタダの人だ。肩書なんか何の役にも立たないんだぞ』
『とりあえず、(停学中に)謹慎なんかしていないで、いろんなところを見て回れ』

と言われたといいます。
関西の親戚宅を訪ね、神社仏閣など観光地でゆっくりと過ごしていて時に書店で冒険家・植村直己さんの『青春を山に賭けて』をたまたま手に取り、感銘を受けて登山に興味を持ちました。

高校1年の冬休みに再び帰国し、片っ端から連絡してやっと入会を認めてもらった山岳会で、富士山、八ヶ岳などの登山に参加。
その後、会の人たちがモンブランに登ること聞き、「僕も連れて行ってください。」と懇願。
初心者の高校生だったこともあり、最初は「責任を持てない」と断られましたが、必死に頼み認めてもらい、高校2年生の夏休みに欧州最高峰のモンブラン(標高4808m)に登頂。
高校2年生の冬にはアフリカ大陸のキリマンジャロ(標高5895m)の登頂にも成功。
高校在学中に七大陸最高峰のうち2つの山を制覇しました。

野口健の大学 エベレスト登頂成功

野口健さんの出身大学は 亜細亜大学 国際関係学部(偏差値49)

東京都武蔵野市境5丁目に本部がある私立大学。
高校時代に国防に興味があり、自衛隊の入隊を本気で考えていましたが、兄から亜細亜大学で「一芸入試」をやっていること聞き受験。面接では、

『大学在学中には7大陸最高峰の最年少記録をつくってみせます』

と宣言し合格しました。
大学には8年間在学。自身で計画書を作って企業を説得してスポンサーを獲得し登山を続けました。
1992年9月(19歳)コジアスコ (2228m)(オーストラリア大陸)
1992年12月(19歳)アコンカグア (6960m)(南米大陸)
1993年 6月(19歳)マッキンリー (6168m)(北米大陸)
1994年12月(21歳) ヴィンソン・マシフ (4892m)(南極大陸)。
2度の失敗を経て、1999年 5月、25歳の時にエベレスト (8844m)(アジア大陸)の登頂に成功し、当時の七大陸最高峰の世界最年少登頂記録を更新しました。 

野口健の経歴 環境学校を開校

野口健のプロフィール

名前   野口健
生年月日 1973年8月21日
出身   アメリカ・ボストン
身長   169cm
血液型  A型
所属   シンクバンク

エベレスト登頂以降は、清掃活動などの環境問題に取り組んでいます。
環境保護の観点からエベレストなどで清掃活動を始め、日本では富士山をはじめ全国各地でも精力的に清掃活動を行っています。
2000年には遭難死したシェルパ族の子どもたちへの教育支援「シェルパ基金」を設立。
2007年5月にはチベット側からエベレストの登頂に成功。ネパール、チベットの両方からの登頂成功者は日本人8人目でした。
2009年には岡山県総社市で「野口健環境学校」を創立。
次世代の環境問題を担っていく人材を育成しています。

野口健の結婚歴

野口健さんの結婚歴は2度。
最初の結婚は1995年、21歳の時でしたが、入籍はすることはできませんでた。

『1995年(当時21歳の大学生)にヒマラヤ遠征をしていた際、野口が女性に求婚し結婚式を挙げたという。父親によると女性の年齢は「15歳なのか16歳なのか…(正確には)私にもわからない」と説明を受けたという。』

正式な結婚手続きをしようと在ネパール大使館を訪れましたが、女性の戸籍がないこと指摘され、また、16歳以上であることを証明する必要もあり、婚姻を手続きをすることができなかったといいます。
その後、正式な婚姻をすることができないまま、約2年半が経ち、女性の親族とも協議して関係を終えることになったそうです。
女性の家族とはその後も良好な関係が続いているといいます。

野口健の妻、子供

野口健さんが結婚したのは2003年7月、29歳の時でした。
妻は靖子さんという女性。
ノンフィクションライターの一志治夫さんの妻の従姉妹で、2003年1月に一志さんの自宅で出会ったといいます。

2019年には16年中15年間「別居」していること明かし、妻は東京、野口さんは約60km離れた千葉の1軒屋で1人暮らしをしていると話しています。
野口さんは別居の理由について、

『慣れてくるとなあなあになり、家の中でパンツ一丁で歩くようになる』
『お互いにちょっと服装に気を使ったりする関係でいたい』

と説明しました。

子供は娘が1人で、2004年2月に絵子さんが誕生しています。
絵子さんは野口さんと共に幼い頃から登山を始め、14歳でネパール・カラパタール峰(5545m)に登頂。
その後はネパールのポカルデピーク(5806m)やゴーキョピーク(5360m)なども登頂。
2021年頃からはTBSの『日立 世界ふしぎ発見!』でミステリーハンターも務めています

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