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吉田鋼太郎の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 吉田鋼太郎

舞台俳優として活躍し、50代で映像の世界でブレイクした吉田鋼太郎さん。
この記事では吉田鋼太郎さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

吉田鋼太郎の学歴

吉田鋼太郎の学歴

小学校  賢明学院小学校
中学校  日野市立第三中学校
高校   聖パウロ学園高校
大学   上智大学

吉田鋼太郎の小学校時代

さんの出身小学校は 賢明学院小学校

1959年1月14日、大阪府生まれ。父親は商社マンでした。
「鋼太郎」の名前は、父親の名前に「鐵(てつ)」がつくので、それよりも優れた金属ということで「鋼」になり、長男のために「太郎」がついて「鋼太郎」になったといいます。
幼少期は身体が弱く、身体を鍛えるために母親の勧めで合気道を習っていました。
小学校は大阪府堺市堺区霞ヶ丘町にあるカトリック系の私立賢明学院小学校に入学。
小学生の頃は引っ込み思案で内気な少年で、1人で遊んでいることが多かったといいます。
小学校6年間は大阪府で育ち、中学に上がる時に東京都日野市に移りました。

吉田鋼太郎の中学校時代

吉田鋼太郎さんの出身中学校は 日野市立第三中学校

東京都日野市程久保にある公立中学校。
中学時代はフォーク音楽の全盛期で、歌とギターに夢中になり、髪の毛も伸ばしてバンドを結成。
自分達でレコードも作っていたといいます。

吉田鋼太郎の高校時代

吉田鋼太郎さんの出身高校は 聖パウロ学園高校 (偏差値46~51)

東京都八王子市下恩方町にあるカトリック系の私立高校。
出身者には俳優の谷隼人さん、映画監督の市川準さんなどがいます。
元は全寮制の男子校で、2002年に男女共学になり全寮制も廃止されました。

『ちょっと素行が悪かったらしいんですよ、自分ではそう思ってないんだけど。』

母親が選んで全寮制だった同高校に入ったそうです。
学校の周りは山で、体育の時間にはスポーツはやらずに、気を切って道を作る開墾だったといいます。

高校2年生の時に英語の先生にチケットをもらい劇団雲のシェークスピア劇『十二夜』を観て衝撃を受けたことが俳優を目指しすきっかけになりました。
舞台を観る前に原作を読んでもよく分かりませんでしたが、舞台を観たとたんにその面白さに胸を鷲掴みされたといいます。

吉田鋼太郎の大学時代

吉田鋼太郎さんの出身大学は 上智大学 文学部ドイツ文学科(偏差値60)

東京都千代田区紀尾井町にある私立大学。
高校時代にシェークスピア劇『十二夜』のチケットをもらった先生が上智大学の「シェイクスピア研究会」出身だったこから、同大学の進学を決意しました。
大学時代は演劇サークルの「シェイクスピア研究会」に所属。

サークルは体育会系で、入学して最初の試験とサークルの公演の日が重なり、先輩に「試験があるので仕込みに行けません」と伝えると、めちゃくちゃ怒られ、以降はひとんど授業に出られなくなったといい、後に中退しています。

大学在学中の20歳の時には、8歳年上のサークルOGに一目惚れし、学生結婚(事実婚)しました。

吉田鋼太郎の経歴

吉田鋼太郎のプロフィール

名前   吉田鋼太郎
生年月日 1959年1月14日
出身   東京都日野市
身長   174cm
血液型  B型
所属    ホリプロ・ブッキング・エージェンシー

大学中退後、21歳の時に劇団四季に合格しに入団しましたが、半年で退団しました。

『「劇団四季なら給料が出るぞ」と言われ、大学を中退し、劇団四季に入団するもミュージカルをやる気にはなれず、半年で退団してしまう。』

退団後は劇団シェイクスピア・シアターなどに所属し、芝居を学びました。
30代になった頃には、年間200ステージをこなし、30代前半くらいで演劇1本で食べられるようになったといいます。
41歳の時、演出家の蜷川幸雄さん演出の『グリークス』に初参加。
演技を褒められ、その後、主役にも抜擢。舞台の世界でスターになりました。

吉田鋼太郎のブレイクのきっかけ

吉田鋼太郎さんは20代前半の時にドラマに出演することになり、嬉しくて友人や親戚にも「テレビに出る」とアピールしましたが、放送を見ると映っていたのは後頭部だけで、そのことに落胆し、以降は映像作品からは距離を置くようになったといいます。
ただ全く出演しなかったわけではなく、1998年には大河ドラマ『徳川慶喜』の 近江屋作兵衛 役、2007年の『風林火山』でも津田監物 役を演じています。

映像の世界でブレイクしたのは、舞台の共演で知り合った小栗さんに、自身が監督を務める2010年公開の映画『シュアリー・サムデイ』のオファーを受けたことがきっかけでした。
当初はカメラの前で繊細な演技をすることに不安を感じ断っていましたが、小栗さんの、

『小さい声でいいんです。ぼそぼそしゃべる(演技)ということも、やってみた方がいい』

との言葉に出演を決意。
同映画出演後、積極的にドラマ、映画に出演するようになり、2013年に『半沢直樹』で半沢の上司役、2014年に『花子とアン』で実業家の伊藤伝右衛門をモデルとする嘉納伝助役を演じ注目され50代でブレイク。
2014年12月にはテレビ東京の単発スペシャルドラマ『東京センチメンタル』でドラマ初主演
2016年1月からは同ドラマが連続ドラマになり、連続ドラマ初主演を果たしました。

吉田鋼太郎の結婚歴や妻、子供

吉田鋼太郎さんの結婚歴は4回です。
最初の結婚は1979年、20歳の時で、相手はシェイクスピア研究会の先輩で8歳年上の女性。
この結婚は事実婚で入籍はしていなかったようです。
2回目の結婚は芝居関係の仕事をしていた女性で、長男が誕生しましたが、ある日、妻がを出て行ったそうです。
3回目の結婚の相手は一般女性。
4回目の結婚は2016年1月1日で、56歳の時。妻は22歳年下で、34歳でした。
2015年9月に知人主催のパーティーで出会い、交際をスタート。同年の12月上旬にプロポーズし結婚しました。
2021年3月5日、吉田さんが62歳の時には、2人目子供となる娘が誕生しています。

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