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八代亜紀の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 八代亜紀

舟歌」や「雨の慕情」などのヒット曲で知られる演歌歌手の八代亜紀さん。
高校には進学せずに歌手を目指しました。
この記事では八代亜紀さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

八代亜紀の学歴

八代亜紀の学歴

小学校  八代市立金剛小学校
中学校  八代市立第六中学校
高校   進学していません

八代亜紀の小学校

八代亜紀さんの出身小学校は 八代市立金剛小学校

1950年8月29日、熊本県八代郡金剛村(現・八代市)生まれ。兄弟はなく一人っ子。
ハーフのような堀の深い顔立ちですが、両親共に日本人です。
父親は会社員、母親は沖縄県出身で琉球王朝の末裔で、20歳と19歳の時にかけおち同然で結婚したそうです。

父親は音楽が好きで歌も上手く、近所の人が浪曲を聞きに集まるほどの歌唱力で、八代さんは父親の歌を子守唄代わりに育ち、歌も教わっていました。
若い頃は画家志望でもあったといいい、父親は八代さんに画家になってほしいとの思いがあり、幼少期から絵画教室に通い、休日には母親に作ったお弁当を持って父親に連れられて、よく球磨川に写生しても行っていたといいます。

小さい頃は「歌」よりも「絵」の勉強を優先していましたが、写生に行くとそこで父親がギターを弾いて歌ってくれたりと、常に歌と絵が身近にあったと話しています。
子供の頃は画家になろうと思っていましたが、小学5年生の時に父親の買ってきた、ジュリー・ロンドンというジャズボーカリストの歌声に衝撃を受け、ジャケットの裏に「アメリカのクラブ歌手で、一流のシンガーとして」とと書かれていたことから「クラブ歌手=一流シンガー」と勘違いし、「クラブ歌手」になりたいとも思うようになったといいます。

八代亜紀の中学校

八代亜紀さんの出身中学校は 八代市立第六中学校

中学時代はバレーボール部に所属していました。

12歳の時に父親は会社員を退職し、運送会社を立ち上げましたが経営は厳しく、中学生の頃には歌手になって父親を楽にしてあげたいという気持ちが芽生えたといいます。
中学時代には、1日でも早く「クラブシンガー」になって稼ぎたいと思っていました。

『1日も早く大人になりたかった。なぜ私は子どもなんだと真剣に悩んでましたね。』

中学卒業は高校には進学せずに、地元熊本のバス会社九州産業交通(現・九州産業交通ホールディングス)のバスガイドとして就職。
就職しましたが、ガイドになってクラブシンガーになるつもりだったといいます。
バスガイド時代は人前で話すことに慣れてなかったため、よく乗客に冷やかされて苦痛だったそうです。

八代亜紀の経歴・なみだ恋が大ヒット

八代亜紀のプロフィール

名前   八代亜紀
生年月日 1950年8月29日
物年月日 2023年12月30日(73歳没)
出身   熊本県八代郡金剛村(現・八代市)
身長   162cm
血液型  B型
所属   ミリオン企画

バスガイドを初めて間もなく、友達が近所のキャバレーに連れて行ってくれ、年齢をごまかしてオーディションを受けると合格。「専属でお願いしたい」と言われ、バス会社は退職しました。

クラブ歌手を始めましたが、両親に退職したことは言えず、朝に仕事に行くフリをして出かけ、時間をつぶして夜にキャバレーで歌う生活をしていました。

『おまえはいつからそんな不良になったんだ、勘当だ!出て行け!』

しかし、すぐにバレですごく怒られたといいます。

その後、父親の反対を押し切って1965年、15歳で上京。東京の親戚の家に下宿させてもらい、喫茶店でアルバイトをしながら、音楽学院に通い歌の基礎を身につけました。

3年後に銀座のクラブで歌手活動を始めると、同じクラブで歌っていた。三谷謙さん(後の五木ひろし)に紹介され、芸能事務所に所属。
1971年9月、21歳の時に『愛は死んでも』で歌手でデビュー。 芸名の「八代」は出身地の「八代(やつしろ)市」からで、語呂のよさから「やしろ」読みにしました。

読売テレビのオーディション番組『全日本歌謡選手権』に出場して10週連続勝ち抜きでグランドチャンピオンになったことで、徐々ににレコードが売れ始め、デビュー3年目の1973年2月の4枚目のシングル『なみだ恋』が120万枚売る上げる大ヒットを記録。
同年の第24回NHK紅白歌合戦に初出場。以降、2001年までで23回出場しました。

その後も次々とヒット曲を出し、1979年には『舟歌』が大ヒット。翌年の『雨んも慕情』では日本レコード大賞を受賞しました。

2012年にジャズアルバム『夜のアルバム』を世界75か国で同時配信し世界デビュー。
マレーシアのジャズチャートで1位、シンガポールで2位、台湾で4位、香港で7位になりました。

八代亜紀の結婚や夫、子供

八代亜紀さんが結婚したのは1994年、44歳の時でした。
夫は元歌手でマネージャーを務めていた5歳年下の男性。

八代さんと同じ事務所からデビューした歌手で、2年で歌手を引退し田舎に帰っていましたが、八代さんにマネージャーに誘われたそうです。
1987年に、八代さんが所属事務所から独立した際には行動を共にし、その後、交際がスタート。
約5年間の交際期間を経て結婚しました。
プロポーズは八代さんからで、

『私がお嫁さんになってあげる』

だったそうです。

しかし、結婚27年目の2021年1月、八代さんが70歳の時に離婚。
離婚の理由については、

『特段に何か(理由)があったわけではありませんが、話し合いの結果、長年のパートナーシップを解消して別々の道を歩んでいくという結論に至りました』

と話しました。

八代さんに子供はいませんでした。

八代亜紀の死因と晩年

八代亜紀さんは2023年9月に、膠原病の一種であり指定難病である「抗MDA5抗体陽性皮膚筋炎」と「急速進行性間質性肺炎」のため、年内の活動を休止することを発表。

以降は療養を続け、復帰を目指してリハビリに励んでいましたが、容態が急変し2022年12月30日に73歳で亡くなりました。

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