ゆっくりなしゃべり方で同じみの戦場カメラマンの渡部陽一さん。
大学時代にコンゴに行き、衝撃的な出来事の遭ったことが戦場カメラマンになったきっかけだといいます。
この記事では渡部陽一さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介します。
渡部陽一の学歴
渡部陽一の小学校
渡部陽一さんの出身小学校は 富士市立田子浦小学校
静岡県富士市出身。父親は会社員、母親は市場のシラスの直売所で働いていました。
弟と妹がいる3人きょうだいの長男。
住んでいたのは海の近くの社宅アパートで、祖父も同居していました。
剣豪小説が好きだった父親に、小学校1年生の時、剣道を習わせられたそうです。
通っていたのは父親の勤務していた会社が開いた剣道教室で、20代~30代の若い社員が先生で、容赦なく打ち込まれていつも泣いていましたが、辞めたいと思ったことは一度もなく、週3日に稽古だけでは足りず、公園や自宅で素振りをしていたといいます。
子供の頃は釣りが好きで、小学生の頃の夢は魚や海に関する研究職の仕事をすることでした。
渡部陽一の中学校
渡部陽一さんの出身中学校は 富士市立田子浦中学校
中学時代は県道部に所属。
あだ名はエスパー伊東でした。
生徒会長を務め、文化祭ではジェームズ・ディーンの『エデンの東』の主人公のキャルを演じました。
渡部陽一の高校
渡部陽一さんの出身高校は 富士高校(偏差値68)
静岡県富士市松本にある男女共学の県立高校。
静岡県ではトップクラスの進学校です。
出身者は俳優の渡辺梓さん、アナウンサーの佐野瑞樹さんなどがいます。
高校には片道40分かけて自転車通学していました。
高校時代はバドミントン部に入り、立ち上がれないほどにしごかれたといいます。
渡部陽一の大学
渡部陽一さんの出身大学は 明治学院大学(偏差値63)
東京都港区白金台に本部がある私立大学。
大学受験では『バンカラ』に憧れて、早稲田大学を受験しましたが3年連続失敗し、2浪で明治学院大学に入学。
弁護士や検察官など、困っている人を助ける仕事に就きたいとの思いがあり法学部に入学しました。
大学1年生の時に生物学の講義で、いまだ狩猟生活をおくっているピグミー族がいることを知り、自分の目で確かめてみたいと、アルバイトでお金を貯めて、現在のコンゴ民主共和国(当時はザイール)に渡りました。
ピグミー族のいる場所まではジャングルの中を2ヶ月の工程をかけなければならず、ヒッチハイクをしながら向かう途中に、十数人の少年ゲリラ兵に出会いました。
当時はルワンダ内戦がザイールまで巻き込んで拡大していたといいます。
しかし、情報収集が不十分で無知を悔いても既に手遅れでした。
トラックの運転手が「伏せろ!」と叫んだ瞬間に少年兵たちは銃を乱射。
あまりの恐怖で逃げることすらできず、少年兵たちに取り囲まれ銃尻で立ち上がれないほどに打ちのめされたといいます。
乗っていたトラックの荷物やカメラ機材などは略奪され、持っていた現金を渡したことで運よく命は助かったそうです。
失意の念での帰国、その恐怖と怒りの感覚を引きずる日々が続き、当時のことを家族や友人に言葉で説明しても全く理解されることはなかったといいます。
言葉で伝わらないのであれば、写真で伝えようと再びアフリカ、ザイールに戻り、現地での情報収集など同じ過ちを犯さないよう万全の準備を整え、ピグミー族はもちろん勃発しているルワンダ内戦の状況を写真に押さえました。
これが初取材となり、この時から戦場カメラマンとして世界を飛び回ることになったそうです。
その影響で大学は2年留年して卒業しました。
渡部陽一の経歴
大学卒業後は就職はせず、飲食店や写真撮影のアルバイトで資金を貯めて取材をしていました。
初めて写真が載った雑誌は『サンデー毎日』でした。
過去には1年の半分は海外に滞在し、コロンビア内戦、ルワンダ紛争、コソボ紛争、チェチェン紛争、ソマリア内戦、イラク戦争など、130の国と地域の紛争地域を取材していました。
2008年には体験記『世界は危険で面白い』を発売。
2009年に元美容師の女性と結婚し、2010年6月9日に息子が誕生しています。
2010年1月の『笑撃!ワンフレーズ』(TBS)に出演したことがきっかけでバラエティ番組に出演するようになりました。
2011年3月11日の東日本震災後は、被災地である岩手県大船渡市、陸前高田市、宮古市などを取材。
2022年、ロシアのウクライナ侵攻後は、ウクライナで現地取材をおこなっています。