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渡辺正行の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕明治大学卒業

学歴 渡辺正行

コント赤信号のメンバーで好評を博した暴走族コントでリーダー役を務めたことから「リーダー」の愛称が定着した渡辺正行さん。
大学に入学するまでは芸能界に入ることは考えたことはなかったそうです。
この記事では渡辺正行さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

 

渡辺正行の学歴

渡辺正行の学歴

小学校  不明
中学校  国吉中学校
高校   大多喜高校
大学   明治大学

渡辺正行の小学校時代

渡辺正行さんの出身小学校は 不明

1956年1月24日生まれ、千葉県夷隅郡夷隅町(現・いすみ市)出身。兄と姉がいる3人兄弟の末っ子。
父親は会社員で兼業農家でした。
小学校はいすみ市の公立小学校のようですが、学校名は不明。
小学生の時からクラスで騒いでいる明るい子供でした。
遊び場は野山で、竹の上に乗ってどこまでしなるかや、季節のもの山で採って食べたりしていたといいます。

渡辺正行の中学校時代

渡辺正行さんの出身中学校は 夷隅町立国吉中学校

千葉県いすみ市国府台にある公立中学校で、現在はいすみ市立立国吉中学校。
中学時代は「巨人の星」が流行っていたこともあって野球部にに入りましたが、毎日うさぎ跳びでボールにも触らせてもらえなかったことから10日ほどで退部。
その後、剣道部の先輩に「身長が高いのは剣道に有利だから」と誘われ、剣道部に入部。
剣道部でも毎日うさぎ跳びでしたが、剣道部は辞めずに続けました。
中学3年生の時には、郡の大会で準優勝し、剣道部創立以来初めて県大会に出場したといいます。
勉強の成績は優秀でした。

渡辺正行の高校時代 剣道部で活躍

渡辺正行さんの出身高校は 大多喜高校 (偏差値52)

千葉県夷隅郡大多喜町大多喜にある男女共学の千葉県立高校。
高校時代も剣道部に所属。練習に真面目に取り組み、在学中には高校初の関東大会に出場。
結果は1回戦負けでした。
個人でも千葉県6位に入賞し、三段を取得。副部長も務めました。
高校時代は剣道に打ち込み、芸能界には一切興味はなかったといいます。

渡辺正行の大学時代 俳優を目指して養成所に入所

渡辺正行さんの出身大学は 明治大学 経営学部(偏差値65)

東京都千代田区神田駿河台一丁目に本部がある私立大学。
高校時代に剣道で関東大会に出場し全国のレベルを知ったことで高校で剣道は辞め、大学時代は「楽しいことをやろう」と落語研究会に入りました。
サークルを探している時に、落語研究会で1年先輩の立川志の輔さんの落語を見て、面白さに衝撃を受け、志の輔さんのファンになり入会したそうです。
同じ落研の同級生にはコント赤信号のメンバーになる小宮孝泰さんがいました。
志の輔さんは先輩の三宅裕司さんから受け継いだ5代目「紫紺亭志い朝」名乗っていて、渡辺さんは6代目を継承しました。

渡辺さんは芸能界には入ることは考えたことはありませんでしたが、大好きな先輩の三宅裕司さんと立川志の輔さんが役者を目指していること知り、「俺もやってみよう」と、1977年、大学3年生の時に劇団テアトル・エコー養成所に入所しました。

 

渡辺正行の経歴 コント赤信号を結成

渡辺正行のプロフィール

名前   渡辺正行
生年月日 1956年1月24日
出身   千葉県いすみ市
身長   180cm
血液型  A型
所属   個人事務所・なべや

劇団テアトル・エコー養成所には同期に小宮孝泰さん、1期上にラサール石井さんがいました。
芝居の勉強の一環として小宮さんと石井さんとコントを始め、1977年10月にコントユニット『コント赤信号』を結成。
自分たちネタを作り、大学の文化祭で披露すると大ウケしたことで「俺たちはこっちの方が向いている」と役者からお笑いにシフト。

ストリップ劇場に出演すると受けないことが続き、漫才ブームが来たことで一時は解散も考えましたが、1980年に関西テレビ制作の『花王名人劇場』でテレビデビューして、披露した暴走族コントが受けで人気を博し、1982年からは『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)にレギュラー出演。
1985年から出演した『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ)ではコーラの早飲み披露し、素人との競争コーナーでも無敵でした。

司会者として活躍

個々で活動するようになると1988年からで日本テレビ系列で放送されたクイズ番組『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』で、メイン司会の逸見政孝さんを補佐するサブ司会を担当し、1996年まで出演。
1989年1月からは『ザ・ベストテン』(TBS)の4代目男性司会者に就任。
1992年からは『関口宏の東京フレンドパーク』(TBS)で副支配人(総合司会)を務め、司会進行を担当。
多くのテレビ番組でサブ司会者として起用され、テレビ業界内外では『芸能界のスーパーサブ』の異名をとたといいます。

若手お笑い芸人の育成にも積極的で、1986年からは「ラ・ママ新人コント大会」を主宰。
過去にはウッチャンナンチャン、にダチョウ倶楽部、爆笑問題なども出演しました。
「M-1グランプリ」では2005年・2006年・2008年・2009年・2010年・2017年大会の決勝戦で審査員を務めました。

結婚歴や妻、子供

渡辺正之さんが結婚したのは1999年9月、43歳の時でした。
妻は18歳年下でフルート奏者の梅澤敦子さん。結婚した当時は25歳でした。
1997年に番組で共演したことで出会い、渡辺さんの猛アプローチで交際がスタートしました。

2012年には浮気疑惑が週刊誌で報じられ、別居をしているとされましたが、翌年の2013年に自宅が空き巣被害に遭ったことで、妻と同居していることが判明し別居疑惑は晴れています。

子供は娘が1人で、2001年1月24日に樺音(かおん)さんが誕生。
2023年には娘が社会人になったと話しています。

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