元フィギュアスケート選手で日本人として初めて世界選手権で入賞し日本フィギュアスケート人気の基礎を築いた渡部絵美さん。
この記事ではさんの学歴、経歴、生い立ちや、現役時代、結婚歴や夫、子供などについて紹介しています。
渡部絵美の経歴・プロフィール
渡部絵美の小学校
渡部絵美さんの出身小学校は 不明
東京都世田谷区生まれ。父親は日本人、母親はフィリピン人のハーフ。兄2人、姉2人がいる5人きょうだいの末っ子として誕生しました。
父親は元日本海軍中尉で、太平洋戦争中にフィリピンに出征し、フィリピンで捕虜になりました。
そこでフィリピンの大規模農園の娘だった女性と出会い国際結婚。戦後、父親はパンアメリカン航空で社員として勤務しています。
2歳時に10歳年上の姉の影響でスケートを始め、8歳の時に本格的にフィギュアスケートを始めました。
入学した小学校は不明ですが、インターナショナルスクール通っていたとの情報もあります。
小学4年生、9歳の時に父親の勧めで、アメリカにフィギュアスケート留学。
母親と共に渡米し、ミネソタ州ミネアポリスで生活しました。
『白黒だったから、赤の衣装だったことは知らなかったけど、憧れた』
フィギュアスケートでオリンピックを目指したのは12歳の時にミネアポリスの宿舎の白黒テレビで見た、1972年札幌オリンピックのジャネット・リンさんの演技がきっかけだったといいます。
小学生時代は母親も一緒でしたが、当時のアメリカは露骨な差別が残っていて、お店などでののしられたこともあったそうです。
渡部絵美の中学校・高校
渡部絵美さんの出身中学校は ミネアポリスの中学校・高校
中学、高校時代もミネソタ州で生活し、学校はゴールデンバレー中学校、高校を卒業との情報がありましたが、ミネアポリスから10分ほどのところにゴールデン・バレー(Golden Valley)という地名の場所があるものの、そこには同名の学校はないようです。
札幌オリンピックのジャネット・リン選手の演技に憧れて練習を続け、札幌五輪の2ヵ月後に13歳出場した全日本ジュニアで優勝。同年11月の全日本選手権をも制覇しました。
その後、4連覇を達成し16歳で1976年インスブルックオリンピックの代表として出場し、結果は13位。
同オリンピックの日本代表は全競技で女子は8人だったといいます。
その後は、高校3年生の時に全日本選手権6連覇を達成。引退するまで8連覇を達成しました。
高校卒業後は、悔いがなく引退も考えましたが、イタリア人コーチの誘いで現役を続行しています。
渡部絵美の大学
渡部絵美さんの出身大学は 上智大学 国際学部 (偏差値68)
東京都千代田区紀尾井町に本部がある私立大学。国際学部は現在は国際教養学部。
高校卒業後は上智大学に入学しましたが、1979年にスケートの名門だった専修大学に移籍しています。
同年にウィーンで開催された世界選手権で3位に入り、日本で一躍「時の人」となりました。
1980年レークプラシッドオリンピックではメダルを確実視されましたが、ショートプログラムでジャンプを失敗。フリーではほぼノーミスの演技でしたが6位入賞に留まりました。
渡部絵美の学歴
現役引退後
1980年6月、20歳で現役を引退。
引退後はプロに転向しアイスショーで活躍。1990年頃からはタレントとして活動を始めました。
2001年には第19回参議院議員通常選挙比例代表に自由連合から立候補しましたが落選。
その後は講演も行いながら、活動の中心はスケート教室で子供たちにスケートを教えています。
結婚歴や夫、子供
渡部絵美さんの結婚歴は2度。
最初の結婚は1989年、30歳の時で、夫は9歳年上でアイスホッケーのオリンピック代表だった男性。
1990年8月には息子の猛(たける)さんが誕生しましたが、結婚3年目の1992年に離婚。
離婚後、息子の親権は渡部さんが持ち、女で一つで育てました。
再婚したのは2020年9月、61歳の時でした。
夫は6歳年下で放送局関係の会社員。交際期間は7~8年で夫も再婚です。
夫は北海道在住で転勤や出張も多く、夏は北海道、冬は東京とお互いの家を行き来しながらの別居婚だといいます。