若村麻由美の学歴・経歴・生い立ち 高校時代に俳優を目指すことを決意

学歴 若村麻由美 俳優

「はっさい先生」でデビューし、ドラマ、映画、舞台などで幅広く活躍する俳優の若村麻由美さん。
この記事では若村麻由美さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

若村麻由美の経歴・プロフィール

若村麻由美の経歴・プロフィール

名前   若村麻由美
生年月日 1967年1月3日
出身   東京都
身長   162cm
血液型  A型
所属   トライストーン・エンタテイメント

若村麻由美の小学校

若村麻由美さんの出身小学校は 八坂村立八坂小学校

東京都練馬区出身。弟が1人、妹が3人いる5人兄弟の長女。
実家はとんかつやを経営。父親、母親は忙しく働き、0歳の頃にはダンボールの中に入れられて店の片隅で寝かされていたそうです。
3歳から日本舞踊を習い、16歳の時には坂東流名取を襲名しました。
活発な子供で身体を動かすのが大好き。神社の境内などで暗くなるまで遊んでいたといいます。

小学校は練馬区立豊玉小学校に入学しましたが、「自然の中で育ってもらいたい」という両親の考えから小学5年生から6年生の2年間は長野県八坂村(現・長野県大町市八坂)に山村留学。
親元を離れて住民票も移し、農家にホームステイして小学校は八坂村立八坂小学校(現・大町市立)を転校。
家から小学校まで往復7kmの山道を歩いて登校していました。
米や野菜を作る手伝いをし、山村留学の子供のために用意された田んぼは全て手作業で、田植え、稲刈り、木臼でもみ殻を取りもしたといいます。
東京では経験出来ない経験をして、水の美味しさを初めて知り、2年間ジューズは一滴も飲まなかったそうです。

若村麻由美の中学校

若村麻由美さんの出身中学校は 練馬区豊玉中学校

東京都練馬区豊玉南二丁目に公立中学校。
卒業生には俳優の堀部圭亮さんなどがいます。
中学時代は成績は優秀で3年間生徒会役員を務め、日本舞踊の稽古にも励んでいました。
1981年、中学2年生の時には弟の推薦で、少年サンデーの巻頭に制服の写真と日本舞踊の着物姿の写真が掲載されました。

若村麻由美の高校 デビューしたきっかけ

若村麻由美さんの出身高校は 淑徳高校 (偏差値57~70)

東京都板橋区前野町五丁目にある男女共学の仏教系私立高校。
1892年(明治25年)に創立された淑徳女学校が前身で、1992年までは女子校でした。

高校入学当初は日本舞踊家になりたいと思っていましたが、俳優を目指そうと思ったのは高校2年生の17歳の時でした。
映画を観ようと渋谷に行きましたが観たい映画がなく、たまたま無名塾の公演『ハロルドとモード』を観て雷に打たれたような衝撃を受け俳優を目指すことを決意したといいます。
公演のパンフレットを見て翌月にオーディションがあることを知り応募すると合格。
高校卒業後は大学には進学せずに、仲代達矢さん主宰の俳優養成所、『無名塾』に9期生として入塾しました。

若村麻由美の学歴

若村麻由美の学歴

小学校  八坂村立八坂小学校
中学校  練馬区立豊玉中学校
高校   淑徳高校
大学   進学していません

『無名塾』に入塾2年目の1987年、20歳の時に朝ドラ『はっさい先生』のオーディションに723名の中から合格しヒロインに抜擢。

オーディションは自分の意思ではなく、無名塾全員がNHKに履歴書が送られていたといいます。
若村さんは舞台に惹かれて俳優を目指したため、映像の仕事をしたいとは思ってなく、合格した時も無名塾であと1年勉強する時間が与えられていたのに撮影のためにNHK大阪に行かなくてはならず、むしろマイナスに感じていたそうです。
主催の仲代さん夫妻に「どうやって断ったらいいのでしょうか?」という意味で、「どうしたらよいでしょうか?」と相談すると「それはとても大きなチャンス。良かったね」と喜こばれて「これは良かったことなのか」と何となく思ったそうです。

以降はドラマ、映画、舞台と幅広く活躍し、1991年には『フィレンツェの風に抱かれて』で映画デビュー。
1999年の映画『金融腐蝕列島 [呪縛]』では第23回日本アカデミー賞・優秀助演女優賞を受賞しました。

結婚や夫、子供

若村さんは2003年9月、36歳の時に14歳年上で岡山県倉敷市の宗教団体『釈尊会』の代表・小野兼弘さんと結婚。
小野さんはスキンヘッドで150超えの巨体で、日本舞踊の関係者を通じて出会い、結婚に至りました。
しかし、結婚4年目の2007年4月に肝不全のために54歳で死去。
子供はいませんでした。
結婚後は仕事はセーブしていましたが、夫のなくなった後は俳優業を再開しています。

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