ドラマ「赤い霊柩車」シリーズの狩矢警部役で知れれ、同役を83歳まで演じた若林豪さん。
この記事では若林豪さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
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若林豪の学歴
若林豪の小学校・中学校時代 原爆を経験
若林豪さんの出身小学校・中学校は 不明
1939年9月5日生まれ、長崎県長崎市茂木町出身。本名は森武 久明(もりたけ ひさあき)。7人兄弟の5番目。
実家はビワとみかんを作る農家でした。子供の頃から家業の農業が大好きで、将来は継ぐつもりだったといいます。
6歳の時に長崎市で原爆を経験しています。
爆心地から少し離れたところに実家がたことから直撃は逃れましたが、、立っていた納戸の前から爆風で土間まで吹き飛ばされたそうです。
幸い命に別状はありませんでしたが、親戚のいた中心地は破壊されつくされました。
3日後に父親と母親がリヤカーを引き、2人の親戚を連れて帰ってきましたが、服が溶け、紙が体に張り付いていたといいます。
若林さんは綿に水を付け、剥がしてあげるなど看病をしましたが、1週間後に亡くなってしまったそうです。
若林豪の高校時代
若林豪さんの出身高校は 海星高校 (偏差値43~61)
長崎県長崎市東山手町にある男女共学のカトリック系私立高校。
1892年(明治25年)に創立された歴史のある学校。
設置学科は普通科のみですが3つのコースに別れています。
野球部は古豪で過去には多くのプロ野球選手を輩出した他、出身者には俳優の若杉宏二さん、ジャズピアニストの平戸祐介さんなどがいます。
若林さんは「ハーフ」」とも噂されていますが、両親ともに日本人の日本人で、そのビジュアルから高校時代はモテたといいます。
若林豪の大学時代 モテたので中退
若林豪さんの出身大学は 専修大学 経済学部(偏差値50)
東京都千代田区神田神保町三丁目に本部がある私立大学。
『当時はとにかく女性にモテたんで、「大学の勉強なんてやってられない」と中退しました。』
若林さんはいずれは家業の農家を継ぐつもりでしたが「その前にちょっと東京を見てみたい」と東京の専修大学に進学。
大学はすぐに中退し、中退後は故郷の姉たち「3年間だけ遊ばせてくれ」と連絡し、その後はアルバイトをしながら気ままな生活をしていたといいます。
若林豪の経歴 俳優デビュー
興味のあった東京で数年生活した後、「もう東京はだいたい分かった」と帰郷。
『親父が「東京は面白かったか?」と聞くんですよ。急に東京に出ていった息子に、それですよ(笑)。もし、あのとき、親父が「勝手なことばして!」と叱っていたら、おそらく私は、そのまま長崎でビワやミカンを作って一生を送っていたと思います。』
叱られると思った父親に叱られなかったことが若林さんの心に火をつけたいい、若林さんの中で「茂木を飛び出して、何かがやりたい。刺激がほしい」という思いが強くなり再び上京。
東京の田町で荷役のアルバイトをしていた時に、早稲田大学で演劇をやってる人に「顔がいいから俳優になれ」と勧められ、劇団四季の舞台に立ちました。
すると、舞台を観に来ていた三島由紀夫さんが「こんなに脚がきれいな俳優を見たことがない」を若林さんを三島さん作・演出の舞台『葵上(あおいのうえ)』に抜擢。
『といっても何にもできませんから、タキシードを着てほとんど立っていただけ。それなのに、20万円いただいけました。』
サラリーマンの平均月給が3万円の時代でした。
1965年、26歳の時に劇団「新国劇」に入団。本格的にに俳優活動を始めました。
Gメン’75でブレイク
劇団「新国劇」の団員になり『同期の桜』でデビュー。
俳優の島田正吾さんに師事し、舞台『人生劇場』で師匠の島田さんと共演し大役・飛車角役に抜擢されるなど活躍。
すると、舞台を観たテレビ局スタッフに時代劇ドラマの主役に抜擢。
1968年の『顎十郎捕物帳』(TBS)で主演でドラマデビューしました。
以降はテレビを中心に出演し、1971年5月公開の映画『暁の挑戦』で映画デビュー。
同年9月公開の『人間標的』で映画初主演を果たしました。
1977年には人気ドラマ『Gメン’75』に立花警部役で途中からレギュラー出演すると人気を集めブレイク。5年間出演しました。
1989年からは山村美紗さんの指名で、山村さん原作のサスペンスドラマシリーズ『赤い霊柩車』(フジテレビ)などで狩矢警部を局をまたいで演じて当たり役となり、2023年まで演じました。
2015年に舞台出演中に救急車で病院に運ばれ、「慢性硬膜下血腫」で緊急手術を受けました。
幸い術後の経過は良く、1か月後には仕事に復帰できたといい、その後も俳優として活動しています。
結婚や妻、子供
若林豪さんは1967年頃に、1歳年下の芙佐子さんと結婚。
妻の芙佐子さんは女優の司葉子さんのいとこで、司さんと舞台で共演した時に、芙佐子さんが司さんに荷物を届けに来たりしていたことがきっかけで出会って結婚したといいます。
『相性が良かったんでしょうね。お互いに大雑把で、でも僕に対して言うべきときは「あなたが悪い」とキチッと苦言を呈する人。確かに、いつも私が悪い(笑)。』
子供は息子が3人、娘が2人の5人。
長男は長男は愛媛県の某市役所勤務の公務員、次男は静岡市にある東寿院などの寺院の住職。
三男は劇団「青年座」所属の俳優・若林久弥さん。
長女はスウェーデン人と結婚して現地で暮らし、次女もドイツ人のITエンジニアと国際結婚して、愛媛県で暮らしているといいます。