知的な演技で幅広い役を演じ、ドラマ「ザ・ガードマン」「さすらい刑事」「渡る世間は鬼ばかり」などで知られ、長年第一線で活躍した俳優の宇津井健さん。
「悪役はやらない」と断言し、生涯悪役を演じることはなかったといいます。
そんな宇津井健さんの学歴、経歴を紹介します。
宇津井健の学歴
宇津井健の小学校
宇津井健さんの出身小学校は 不明
東京市深川区(現在の江東区)で生まれ、4歳の時に父親を亡くし祖父母に育てられました。
祖父母の影響で幼い頃から芸事に親しみ、6歳から日舞を習わされたといいます。
小学生の時に千葉県に疎開しました。
疎開中に畑にいると、戦闘機が来て畑を銃撃され、見上げると操縦士の顔がはっきりと見えたそうです。
宇津井健の中学校
宇津井健さんの出身中学校は 千葉中学校(偏差値72)
千葉県千葉市中央区葛城にある県立中学校。
1878年8月に設立された伝統のある学校、自主的で教養を尊ぶ気風がある学校で、全国的に珍しい生徒会のない学校です。
疎開で千葉に来ましたが、戦後も千葉で生活し同中学校に進学しています。
宇津井健の高校
宇津井健さんの出身高校は 千葉高校(偏差値75)
千葉中学校と併設された県立高校です。 千葉県ではトップクスの進学校で、1980年代後半から90年代半ばにかけ、年によっては東大合格者数が公立で首位になるほどの実績を残していました。
出身者には女優の市原悦子さん、ミュージシャンのサエキけんぞうさんなどがいます。
高校時代は演劇部で活躍し、演劇の全国コンクールにも出場しました。
宇津井健の大学
宇津井健さんの出身大学は 早稲田大学 第一文学部演劇専修(偏差値69)
大学入学前に新宿で、颯爽と馬に乗る早稲田大学の馬術部員にを見かけ、その勇姿に憧れて大学では馬術部に入部。
それからは馬に夢中になりました。
当時は早稲田大学に専用の馬場はなく、目白の学習院大学と一緒だったそうで、朝早く学習院大学に行って馬の乗り、世話をして大学で授業に出て、夕方また馬場に戻るという生活だったといいます。
大学では演劇を専攻していましたが、馬に専念し、ほとんど演劇活動はしていませんでした。
毎日ひたすら馬に乗ったおかげで、1年生の終わりには馬術部でレギュラーに抜擢。
しかし、馬に熱中しすぎて大学を4年で卒業することはできない状況なったといいます。
そんな時に、俳優座が養成所の生徒を募集していることを知り応募すると合格。
大学在学中の1952年に俳優座養成所の4期生として入所、大学は中退しました。
同期には仲代達矢さん、佐藤慶さんがいました。
宇津井健の経歴・生い立ち
宇津井健さんの俳優デビューのきっかけは、大学時代に熱中した馬でした。
俳優座養成所の2年生の時に、1953年の映画『思春の泉』で主演デビュー。
主演が「裸馬を乗りこなす」ことが条件だったことから、宇津井健さんに白羽の矢が立ったそうで、同期からは「健ちゃん、馬に乗れて良かったね」と羨ましがられたといいます。
翌年の1954年に新東宝に入社し、日本初の和製特撮スーパーヒーロー映画『スーパージャイアンツ』では主演を務め、1959年まで9作が制作されました。
1965年から放送されたドラマ『東京警備指令 ザ・ガードマン』(TBS)で主演の高倉隊長を演じ、最盛期には視聴率30%を超え、ドラマは6年間放送、劇場版も2本制作され宇津井健さんの代表作の1つになっています。
1974年から山口百恵さんと共演したドラマ『赤いシリーズ』(TBS)では「山口百恵の父親役」として人気を博しました。
2006年からは亡くなった藤岡琢也さんの代役をとして『渡る世間は鬼ばかり』の主人公の岡倉大吉 役を演じました。
体を鍛えることには熱心で、自宅にはトレーニングルームがあり、テレビショッピングで購入したトレーニング機器が沢山あり、撮影現場では空き時間に鉄アレイで鍛えていたといいます。
宇津井健の晩年
2014年3月14日に愛知県名古屋市の病院で。慢性呼吸不全のため82歳で死去。
2013年頃から肺気腫を患い、知人の医師が勤務する名古屋市の病院に通院していましたが、死去の1週間程前から容態が急変したといいます。
映画での遺作は2013年8月公開の映画『劇場版 タイムスクープハンター -安土城 最後の一日-』、テレビドラマでの遺作は2013年5月27日、6月3日の2週にかけて放送された『渡る世間は鬼ばかり 2013年スペシャル』でした。
一般女性との2度の結婚歴があり、最初の妻は2006年に肝臓がんで死去。
1963年3月には息子がが誕生し、フジテレビの社員となりました。
その後、一般女性と内縁関係になり、死去の当日のその女性と再婚していました。
妻となった女性は、宇津井健さんの体調の悪化した頃から献身的に支えた、当時、80歳の名古屋で政財界の著名人や芸能人も通う高級クラブやスポーツクラブを経営する実業家の文恵さんという女性。
その女性は「お互いの遺産は放棄する」と公言していましたが、後に前言を翻し、宇津井健さんの残した都内の2億円といわれた豪邸の相続を巡って長男とトラブルとなり、2016年には文恵さんが代表を務めていた会社が、33億7000万円もの負債を抱え、名古屋地裁に民事再生法の適用を申請したと報じられました。