映画『狂った果実』で俳優デビューし、大河ドラマ「葵 徳川三代」で主演を務めたこともある俳優の津川雅彦さん。
妻の朝丘雪路さんとはおしどり夫婦として知られました。
この記事では津川雅彦さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
津川雅彦の学歴
津川雅彦の小学校
津川雅彦さんの出身小学校は 京都市立御室小学校
京都府京都市中京区生まれ。本名は加藤 雅彦(かとう まさひこ)。
父親は歌舞伎役者から映画俳優に転身した戦前の大スター澤村国太郎さん、母親は女優のマキノ智子さん、6歳年上の兄は俳優の長門裕之さん。
母方の祖父は日本初めて職業映画を撮った映画監督で、「日本映画の父」と呼ばれた牧野省三さん、叔父は映画監督で、映画プロデューサーのマキノ雅弘さん。
芸能一家で、物心つく前から父親の主催する劇団「新演技座」で兄と共に子役として活躍し、映画にも出演、映画の撮影所を遊び場として育ちました。
子役として10本の映画に出演しましたが、化粧するのが嫌で、役者は好きではなかったといいます。
津川雅彦の中学校
津川雅彦さんの出身中学校は 洛星中学校 (偏差値62)
京都府京都市北区小松原南町にあるキリスト教カトリック系の私立男子校。
中学時代も映画に出演し、1954年の映画『山椒大夫』に出演した際には撮影が長引き、中学を留年していまったそうです。
『監督に頭を下げさせて謝らせたんです。我々はやくざ一家だなと、つくづく思い知りましたね』
留年すると叔父のマキノ雅弘さんが、監督の溝口健二さんのところに津川さんを連れて行き、監督に頭を下げさせたといいます。
津川雅彦の高校
津川雅彦さんの出身高校は 明治大学付属中野高校 定時制(偏差値-)
高校は3つの高校に通っており、最初に入学した高校は同志社高校(偏差値72)。
京都府京都市左京区岩倉大鷺町にある男女共学の私立高校。
当時は親の跡を継いで俳優になることに疑問を持っていて、新聞記者になりたかったといい、父親の『新聞記者なら早稲田に行け』とのアドバイスから、東京都練馬区上石神井にある、早稲田大学附属高等学院(偏差値75)に編入。
俳優はしないつもりでしたが、ある結婚式でたまたま津川さんを見かけた石原慎太郎さんの強い推薦で、1956年の映画『狂った果実』に主演の石原慎太郎さんの弟役で出演依頼ががあり、『夏休みだし一本だけならいいか』との気持ちで出演。
16歳で本格的に俳優デビュー、津川雅彦の芸名は石原慎太郎さんが名付けました。
映画が大ヒットすると、チヤホヤされいい気持ちになり日活と契約し、俳優の道に進んだといいます。
俳優デビュー後は、高校は明治大学付属中野高校・定時制に編入しました。
津川雅彦の大学
津川雅彦さんの出身大学は 文化学院短期大学
高校卒業後は、文化学院短期大学に進学。
東京都墨田区両国にある、現在の専修学校・文化学院です。
1921年に各種学校として設立され、1925年に旧制専門学校に相当する大学部が設置され、1972年に専修学校として認可されました。
津川雅彦の経歴
デビュー映画『狂った果実』で一気にスターになり1956年に日活と契約、人気絶頂の1958年、松竹へ移籍したが、松竹ではヒット作には恵まれませんでした。
その後、フリーとなりテレビドラマに活動の場を広げましたが、1969年のデヴィ・スカルノさんとの不倫騒疑惑がきっかけで、仕事が激減。
しかし、1972年に放送が開始された『必殺シリーズ』で悪役を演じたことで再ブレイク。
1978年にはおもちゃ販売会社『グランパパ』を設立、1981年からは芸能事務所『グランパパプロダクション』を設立。
1981年公開の映画『マノン』で第24回ブルーリボン賞助演男優賞を受賞し、1987年には映画『マルサの女』『夜汽車』で、第11回日本アカデミー賞・最優秀助演男優賞、『別れぬ理由』で優秀主演男優賞を受賞。
2000年の大河ドラマ『葵 徳川三代』で徳川家康を演じ主演を務めました。
2014年春の叙勲では旭日小綬章を受章しました。
津川雅彦の妻や子供
津川雅彦さんは1973年5月に、4歳年上で女優の朝丘雪路さんと結婚。
津川雅彦さんは初婚でしたが、朝丘雪路さんは再婚。朝丘さんは1967年に内科医と結婚し、息子ももうけましたが、1972年に離婚。
離婚後は夫側が息子を引き取りました。
津川さんと朝丘さんの子供は娘が1人で、1974年3月に真由子さんが誕生。
真由子さんは1974年8月15日午前3時、生後5ヶ月の時に自宅2階で寝ていたところを身代金目的の23歳の男に誘拐され、犯人は500万円を要求。
津川さんは警察の指示に従って当日に150万円を指定の口座に振り込み、犯人が2度CD機から現金を引き出したことが判明すると、警察がそこに張り込み犯人を確保。
真由子さんは、41時間後に犯人宅で保護されていました。
2000年頃からは女優として活動し、グランパパププロダクションに所属。2019年からは『東京エキゾチカ with 真由子 』として音楽活動も行っています。
津川雅彦の晩年と死因
津川雅彦さんは2017年11月に肺炎で入院。翌年の2018年4月27日には認知症を患っていた妻の朝丘雪路さんと死別。
この時に、津川雅彦さんは肺炎を患った影響で、酸素吸入器のチューブを鼻につけた状態で会見に臨み、この会見が公の場の最後の姿でした。
2018年8月4日に心不全のため死去。78歳でした。
遺作は翌年の2019年2月3日に放送された、テレビ朝日系ドラマ『松本清張ドラマスペシャル「疑惑」』でした。
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