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鳥羽一郎の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 鳥羽一郎

「兄弟船」のヒット曲で知られる演歌歌手の鳥羽一郎さん。
漁師をした後に演歌歌手に転身しました。
この記事では鳥羽一郎さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

鳥羽一郎の学歴

鳥羽一郎の学歴

小学校  鳥羽市立鏡浦小学校
中学校  鳥羽市立鏡浦中学校
高校   進学していません

鳥羽一郎の小学校

鳥羽一郎さんの出身小学校は 鳥羽市立鏡浦小学校

1952年4月25日、三重県鳥羽市石鏡町生まれ。本名は。木村 嘉平(きむら よしひら)。
父親は漁師。4人兄弟姉妹の長男で、6歳年下の弟は演歌歌手の山川豊さん。
母親は海女さんの漁業一家で、父親は船で母親が潜って獲って来るのを待っていたといいます。

父親がギャンブル好きで、家を借金のかたにとられその日は納屋で寝ましたが、翌日にギャンブルで勝ち、取り戻したこともあったといいます。

自宅に水道はなく集落の共同の井戸で水を汲み、住んでいた場所は、小学6年生のに道路が通るませでは陸の孤島と言われていたそうです。
自然は豊かなので、子供の頃は海にもぐってあわびを採りおやつ変わりに食べていました。
生活は貧しく、弁当は白米ではなく麦だったそうです。

鳥羽一郎の中学校

鳥羽一郎さんの出身中学校は 鳥羽市立鏡浦中学校

中学卒業後は高校には進学せず、漁師になりました。

『兄貴は中学卒業後、漁師として船に乗り、僕と妹を高校に行かせてくれました。』

鳥羽さんは小学校に上がった頃から父親の船に乗り釣りや網の操作を習い、海がシケて漁に出られない日には釣りの仕掛けを作ったり、破れた網の修理をしたりしていて、漁師の技術は子供の頃から身につけていたことから、漁師としての腕には自信があったといいます。

『もっと大きな船に乗りたいと思っていた時に、たまたま水産試験場の船があったんです。』

中学卒業は父親の船で漁を手伝っていましたが、大きな船の乗ってみたいという思いから、17歳の時に、水産高校の実習船でもあった遠洋漁業のマグロ船に応募すると、乗組員として本採用されました。
船はハワイ、パナマを回り8ヶ月の旅で、航海が長くホームシックになると演歌を口ずさみ「明日の頑張ろう」という気持ちになったといいます。

マグロ船に2年乗り、その後はカツオ1本釣り漁船に移り3年乗りました。 カツオ船に乗った時には航海期間も3ヶ月と短く、「こんな楽な仕事があるのか」と思ったといいます。
その後は、漁船を下りて板前修業を始め調理師の免許を取得しました。

鳥羽一郎の経歴・兄弟船が大ヒット

鳥羽一郎のプロフィール

名前   鳥羽一郎
生年月日 1952年4月25日
出身   三重県鳥羽市
身長   170cm
血液型  B型
所属   鳥羽音楽事務所

鳥羽一郎さんが演歌歌手デビューしたのは1982年8月、30歳の時でした。

鳥羽さんは子供の頃から演歌が好きで、遠洋漁業の過酷な生活の中で、作曲家の船村徹さんの『なみだ船』、『別れの一本杉』に勇気をもらい、演歌歌手になりたいとの思いも心に秘めていました。

弟の山川豊さんは先に演歌歌手を目指して上京すると、鳥羽さんも触発されて1979年、27歳で上京。
憧れだった船村徹さんと九段下のあったホテルで出会い、アポなしで「弟子にしてください」と伝え、弟子にするとは言われなかったものの、船村さんのカバン持ち緒や車の運転をするなど3年間付き人を経験。

『なんでかよく分からない』

しかし、船村さんに渡したデモテープは聞いてくれたものの、目の前で実際に歌を聞いてもらったことはなく、レッスンもなかったといい、あまり話すこともなかったことから、なぜデビューできたかは、今でも分からないと話しています。

1982年8月25日に船村さん作曲の『兄弟船』でデビューすると、ロングヒットし累計売り上げは100万枚を超える大ヒットを記録。同年の新人賞を総なめにしました。

1985年には第36回のNHK紅白歌合戦に初出場を果たし、2007年までで20回出場。
1992年に弟の山川豊さんと紅白で初めて同じ年に出場し、2005年には兄弟デュエットの形で出場しました。
シングルは2023年1月までで、129枚リリースしています。

鳥羽一郎の結婚や妻、子供

鳥羽一郎さんは35歳の時に、和美さんという女性と結婚。妻の身長は鳥羽さんと同じ170cmあるといいます。

子供は息子が2人と娘が1人の3人。
長男の木村竜蔵さんは作曲家・歌手、次男の木村徹二さんは作詞家・歌手として活動。
2016年に兄弟ポップスデュオ『竜徹日記』を結成し、2021年には漁業関連のJF共済70周年記念ソング『めぐりめぐる』を発表しました。
次男の徹二さんは、2022年11月16日にシングル『二代目』で演歌歌手としてソロでビュー。
作詞・作曲は兄の竜蔵さんが担当しました。

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