谷村新司の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 谷村新司 歌手・ミュージシャン

アリスのメンバーで、ソロでは『昴』などのヒットッ曲を持つ歌手の谷村新司さん。

加山雄三さんとの共作で作詞をした『サライ』も有名です。

この記事では谷村新司さんの学歴、経歴、生い立ちを紹介します。

谷村新司の学歴

谷村新司の学歴

小学校  大阪市立桑津小学校
中学校  大阪市立東住吉中学校
高校   大和川高校
大学   桃山学院大学

谷村新司の小学校

谷村新司さんの出身小学校は 大阪市立桑津小学校

両親は戦時中に、縁故疎開してた大阪府河内長野市で1948年に誕生、3歳まで生活した後、大阪市内に移りました。

父親は洋服の付属品を作る会社を経営しながら、相場師もしていていました。

母親は長唄の三味線をやっていて、3歳年上の姉は6歳から地唱舞を習っていて、中学生で名取にると弟子が20人くらいいて、自宅で稽古をつけていたそうです。

小学校低学年の時には、学級委員長で、運動神経もよく運動会ではリレーのアンカーも務めてモテていましたが、高学年になると150cmで体重70kgの肥満体型となり、体育の授業の時にマット運動で飛び込み開脚前転をすると、ジャージが破れパンツが見えてしまい、それを好きな女の子に目撃され、以来、その子との会話はなくなったといいます。

谷村新司の中学校

谷村新司さんの出身中学校は 大阪市立東住吉中学校

出身者のはフットボールアワーの岩尾望さんがいます。

中学時代に映画『渡り鳥シリーズ』で小林旭さんがギターを弾くのをを見て、モテたいと思い、ギターの練習を始め、中学2年生の時には作曲も始めました。

雑誌のペンフレンド募集のコーナーで知り合った山形県に住む女の子と文通をし、気持ちが盛り上がり、お互いの写真を交換しようと思い写真を送ると、それ以来返事が来なくなり、その後は失恋の曲ばかり書いたそうです。

谷村新司の高校

谷村新司さんの出身高校は 大和川高校(偏差値46)

大阪府大阪市住吉区苅田にある男女共学の府立高校。

出身者にはシンガーソングライターの影山ヒロノブさんなどがいます。

1965年、高校2年生の時にフォーク・グループ『ロック・キャンディーズ』を結成。

アマチュアバンドとして関西を中心に活動し、大阪、神戸で人気を集めました。

谷村新司の大学

谷村新司さんの出身大学は 桃山学院大学(偏差値38~43)

大阪府和泉市まなび野に本部がる私立大学。

大学時代はゴルフ部に入部。

ゴルフ部に入ったのはモテるんじゃないかと思ったのと、会社に就職したときに新入社員でゴルフが出来たら役に立つと持って入ったといいます。

しかし、同好会のような感じかと思って入部してみると、バリバリの体育会系でゴルフ場では両肩に2つずつバッグを担いで走っていたそうです。

新人戦に出場すると全員ひどい成績で、駐車場の砂利道で正座させられた上に全員丸坊主にさせられたことで辞めたそうです。

『だから新人戦のときにいい成績だったら、音楽をやっていなかったかもしれない。』

ゴルフ部を退部後、バンド『ロック・キャンディーズ』に専念し、大学在学中の1968年9月に『どこかに幸せが』でデビュー。

大学は7年生の時に中退しています。

谷村新司の経歴

谷村新司のプロフィール

名前   谷村新司
生年月日 1948年12月11日
没年月日 2023年10月8日(74歳没
出身   大阪府大阪市住之江区
身長   172cm
血液型  AB型
所属   Club DAO

1970年の大阪万博では、カナダ館の水上ステージに立ち、同年にアメリカ・コンサート・ツアー参加し、共に参加していたソウル・バンド『ブラウン・ライス』ののドラマー矢沢透と知り合い意気投合、帰国したら一緒にグループを組もうと約束しました。

1971年に『ロック・キャンディーズ』は解散。

同年12月に知り合いだったアマチュアロックバンド『フーリッシュ・ブラザーズ・フット』のボーカルだった堀内孝雄さんを勧誘し、2人で『アリス』を結成。

1972年3月5日、シングル『走っておいで恋人よ』でデビュー。

同年5月に矢沢透さんが正式に加入し、3人体制となりました。

しばらくは泣かず飛ばすでしたが、地道にライブ活動を続け、1974年には年間303のステージに立ち、結成4年目の1975年9月5日にリリースした7枚目のシングル『今はもうだれも』がオリコンチャート11位にとなりヒット。

1977年10月の11枚目のシングル『冬の稲妻』は8位となり、1978年12月の14枚目のシングル『チャンピオン』で初の1位を獲得。

1979年6月には『陽はまた昇る』をリリースしソソロ活動を開始。

1981年5月に谷村新司さんと堀内孝雄さんのソロ活動が盛んになったことと、方向性の違いから活動を休止。

その後、限定的な活動を経て、2009年に本格的に再始動をしました。

アリスとしては全盛期には紅白歌合戦には出場はしておらず、初出場は2000年、その後は2009年までで3回出場しています。

ソロとしては1987年に紅白に初出場し、2003年までで16回出場しました。

1992年11月には、加山雄三さん作曲、谷村新司さん作詞の共作でシングル『サライ』を発表。

日本テレビ『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』のテーマソングとして使用され、現在でも番組を代表する曲として歌い継がれています。

谷村新司の結婚と子供

結婚したのは1977年で、妻は一般女性。

谷村新司さんが一目惚れして、猛アタックの末に結婚したそうです。

子供は息子と娘の2人で、長男の大輔さんが1978年、長女の詩織さんが1980年に誕生しました。

娘の谷村詩織さんはシンガーソングライターで、2008年4月にアルバム『金色』でデビュー。

2009年には長野県善光寺でおこなわれた音楽イベントで、初の親子共演を果たしました。

息子も娘も結婚していて、孫も2人いるそうです。

谷村新司の晩年

2023年3月に急性腸炎のため入院し、手術を行いました。

6月からアリスの全国ツアーがありましたが、担当医師のから厳しいと判断を受け中止。

年内のコンサートやクリスマスディナーショーも中止にし、年内は治療に専念すると発表されていましたが、同年10月8日に74歳で亡くなりました。

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