俳優、トロンボーン奏者で「クレージーキャッツ」のメンバーの谷啓さん。
この記事では谷啓さんの学歴、経歴、生い立ちや、妻、晩年や死因などについて紹介しています。
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谷啓の経歴・プロフィール
谷啓の小学校
谷啓さんの出身小学校は 六浦尋常小学校
東京府荏原郡東調布町(現・東京都大田区田園調布)出身。本名は渡部 泰雄(わたべ やすお)。3歳年上の姉と3歳年下の弟がいる3人兄弟の真ん中。
祖父は福島県会津若松市出身の技師で、後に鋼材を扱う成工商会を経営。
父親は日新製鉄(現・日本製鉄)に勤める会社員でした。
父親の転勤で生後間もなく広島県に転居。5歳で東京に戻り、小学生からは横浜市に移り、六浦尋常小学校(現・横浜市立六浦小学校)に入学。
家庭は裕福でお手伝いさんももいました。
谷啓の中学校・高校 トロンボーンに出会う
谷啓さんの出身中学校・高校は 旧制逗子開成中学校・逗子開成高校
神奈川県逗子市新宿2丁目にある私立の男子校。
1903年(明治36年)に東京府北豊島郡日暮里町(現:東京都荒川区西日暮里)にある開成中学校の分校第二開成中学校として開校し、1909年、独立組織となり逗子開成中学校に改名されました。
現在の中学校の偏差値は62、完全中高一貫制のため高校は生徒募集はしませんが、毎年東京大学に合格者が出る進学校です。
出身者には声優の堀内賢雄さん、タレントの吉村明宏さんなどがいます。
中学の入学式でブラスバンドの演奏を見て、トロンボーンに惹かれ音楽部に入部。
しかし、トロンボーンの名前を知らず、担当楽器を決める際には当初、適当にチューバを希望したといいます。
中学1年の8月に終戦を迎えると、連合国の持ち込んだジャズに夢中になり、アメリカのコメディ映画にも夢中になりました。
高校時代にはキャバレーでバンドのアルバイトをしていました。
谷啓の大学 中退しバンド活動
谷啓さんの出身大学は 中央大学 経済学部 (偏差値58)
東京都八王子市東中野に本部がある私立大学。
中央大学経済学部の出身者にはタレントの高木ブーさんや、2代目林家三平さんなどがいます。
高校卒業後は関東学院大学(神奈川県横浜市金沢区)の進学しましたが、1年後に音楽仲間が多かった中央大学に入学。
中央大学では音楽研究会に所属しバンドを結成。キャバレーや米軍基地で演奏をしていました。
大学在学中のスカウトされ、トロンボーン奏者としてシャープス&フラッツに加入。
芸名ははアメリカの名コメディアン、ダニー・ケイを日本語風にして「谷啓」にしました。
本格的な演奏だけでなく、トロンボーンのスライドを足で動かして吹くなどのコミカルな演奏も行い、その演奏技術は高く評価され、ジャズ専門雑誌「スイングジャーナル」誌上でも上位にランキングされました。
中央大学も退学しています。
谷啓の学歴
「クレージーキャッツ」に加入しガチョーンで人気
1953年、フランキー堺さんから誘われ「フランキー堺とシティ・スリッカーズ」に加入し、音楽ギャグを盛んに行いました。
フランキー堺さんが俳優になって脱退したことから、1956年2月に「ハナ肇とクレージーキャッツ」に移籍。
ジャズ喫茶などで多彩なギャグで人気を博し、1959年に『おとなの漫画』に出演して以降はコメディアンとしてバラエティ番組で活躍。
「ガチョン」(当時は伸ばさなかった)「アンタ誰?」「ムヒョーッ」「びろーん」などのギャグで不動の人気を獲得。
「ガチョーン」は追い詰められた時やCM前のオチに使用されていました。
「クーレージー映画」や「釣りバカ日誌シリーズ」で俳優としても活躍し、多くのドラマにも出演しました。
妻はペギー葉山の元マネージャー
谷啓さんは1958年、26歳の時に、ペギー葉山さんの元マネージャーの和子さんと結婚、
交際期間は長く、恥かしがり屋の谷さんが一向にプロポーズしなかったため、和子さんからプロポーズしたといいます。
子供は1男3女が誕生しました。
晩年と死因
2008年頃から体調を崩し、2009年3月にはレギュラー番組を降板し療養生活をはじめていました。
晩年は認知症を患い、タバコを買いに行っても家に戻れなかったり、近所を徘徊するなどしていたと長男が話しています。
2010年9月10日日午後に自宅の階段で足を踏み外し転倒。
頭などを強く打ち、病院に搬送されましたが、翌日の11日に脳挫傷のために死去。78歳没。
遺作は2009年に出演した映画『釣りバカ日誌20 ファイナル』でした。