フジテレビ系ドラマ「北の国から」シリーズの主人公・黒板五郎役などで知られる俳優の田中邦衛さん。
「若大将」シリーズの「青大将」役でブレイクしました。
この記事では田中邦衛さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
Contents
田中邦衛の学歴
田中邦衛の小学校
田中邦衛さんの出身小学校は 不明
1932年11月23日生まれ、岐阜県土岐郡土岐津町(現・土岐市)出身。
実家は土岐市で100年以上続く美濃焼の窯元。7人兄弟の4番目で次男として誕生。
窯元は普段は家族だけで働き、忙しい時に4~5人の人を雇っていたといい、田中さんも子供の頃から薪運びなど家の仕事を手伝わされていました。
子供の頃から勉強は苦手で、運動も得意ではありませんでしたが、やんちゃでイタズラばかりして、父親に蔵の中に閉じ込められたり、長いすに縛り付けられたりしていたといいます。
田中邦衛の中学校
田中邦衛さんの出身中学校は 多治見市立多治見中学校
中学校は地元の公立中学に入学。
中学の時は不良で、1年生の時にタバコを吸ってそれが見つかり、父親が学校に呼び出されています。
中学時代も勉強は嫌いでほとんどせず、学校の成績は200人中194番でした。
田中邦衛の高校
田中邦衛さんの出身高校は 広池学園高校 (偏差値63~67)
千葉県柏市光ヶ丘にある男女共学の私立高校で、1951年に麗澤高校に改称されています。
出身者には元プロ車いすテニス選手の国枝慎吾さんなどがいます。
『成績はよくないし、悪いことはやるしで、しつけが厳しいところへやろうってことで、親父が知ってる麗沢高校へやらされたんすよ。』
中学時代に成績も素行もよくなかったことから、父親の命令でで岐阜県から、全寮制の同校に入学。寮は4人部屋でした。
道徳を重んじる学校で、入学した頃は鑑別所に入れられたように感じ、あと何日で家に帰れるかばかりを考えていたといいます。
田中邦衛の大学
田中邦衛さんの出身大学は 麗澤短期大学 英語科
千葉県柏市光ヶ丘にあった私立大学で、1960年に廃止になっています。
高校卒業、エスカレーター式で麗澤短期大学に進学。
大学時代も4人部屋の寮生活で、在学中に教員免許を取得しました。
遊び仲間が演劇好きだったことがきっかけで退学1年生の時に演劇に出会い、他にに趣もなかったことから夢中になり、俳優座養成所の試験を受験。
一次試験は突破しましたが、2次試験では不合格になり、翌年の春にも受けましたが不合格でした。
大学卒業後は、帰郷し実家で兄と共に「茶碗屋」をやっていました。
田中邦衛の経歴 中学校教師として勤務
短大卒業後、実家に戻り「茶碗屋」をやっていた時、小学校時代にお世話になった先生に、
『新制中学の先生が足りないから、お前、やってみないか』
と誘われ、しぶしぶでしたが地元多治見市内の中学校の代用教員になりました。
教えていた教科は英語、国語、体育の3教科で、短大で英語科でしたが、英語は忘れていて授業の前の日に猛勉強し挑みましたが、よく発音記号なども間違えて生徒に指摘されていたといいます。
田中さんはそのたびに「悪い、悪い」と謝り、権威のない先生だったと話しています。
「若大将」シリーズの「青大将」役でブレイク
教師として自信がなかったことから、生徒を叱れず教師を辞めようと思った時に、再び諦めた俳優の夢が膨らみ中学校は10ヶ月で退職。
3度目の受験で俳優座養成所に試験に合格し、俳優の道に進みました。
3年の養成所生活を経て、47人中3人の狭き門をを突破し正式に俳優座の座員に、7期生として昇格。
しかし、当初は収入はわずかで2畳間の部屋を借り、庭教師、ポスター張りなど多くのアルバイトをして食いつないでいました。
1957年公開の『純愛物語』で映画デビューし、1961年に『大学の若大将』で加山雄三さん演じる若大将のライバル・青大将役で出演。
若大将の敵対心を燃やすも、軽くいなされるコミカルで憎めないキャラクターを好演し人気を集め、29歳でブレイク。「若大将」シリーズの不動のレギュラーとなりました。
1981年からはフジテレビ系『北の国から』で2人の子を温かく見守る父親・黒板五郎役を演じ、全国的に名前が知られるようになりました。
1986年には映画『ウホッホ探険隊』で
第29回ブルーリボン賞・主演男優賞
1993年には『学校』『虹の橋』『子連れ狼 その小さき手に』で、
第17回日本アカデミー賞・最優秀助演男優賞
を受賞しています。
田中邦衛の結婚歴や妻、子供
田中邦衛さんは1963年、30歳の時に結婚。
妻の名前は康子さん。
康子さんの姉が俳優座の同期で、彼女の家で夕飯をご馳走になったことで知り合い、第一印象は「よそよそしい女の子」だったといいます。
『平凡なところに惚れたのかな』
康子さんの普段の生活を見て好意を持ち、決死の覚悟でプロポーズすると承知してくれ、結婚に至りました。
交際後は康子さんの家に通い、彼女の両親と仲良くなり、結婚の2ヶ月前からは康子さんの家に一緒に住むようになっていたといいます。
子供は娘2人に恵まれ、長女の淳子さんは1964年に誕生し、上智大学を卒業後、1988年、NHKに記者として入局。
ワシントンDC特派員、女性海外支局長としてシドニーに赴任を経て、2016年から国際報道2016にキャスターとして出演し広く知られるようになり、2020年4月には広報局長に就任しました。
田中邦衛の死因と晩年
田中邦衛さんは2010年公開の映画『最後の忠臣蔵』に出演後は、俳優としては表舞台から遠ざかりました。当時、78歳でした。
2012年6月に『北の国から』でも共演した地井武男さんの葬儀に出席し、この姿が公の場での最後の姿でした。
2013年11月には『週刊女性』で「長ゼリフが入らない」ことから仕事の依頼を断っていると報じられ、同月のフジテレビ系情報番組『ノンストップ!』では妻の康子さんが電話取材に応え、
『(仕事は)体力的に厳しいと思います』
と述べました。
2017年10月には康子さんは取材に、
『車椅子生活が続き俳優としての復帰に関しては解らない』
と答えていました。
2021年3月24日、老衰のために死去。88歳没。