田村正和の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 田村正和 俳優

「古畑任三郎」の他、数多くのヒット作で知られる俳優の田村正和さん。
若い頃には時代劇で人気を獲得しました。
この記事では田村正和さんの学歴、経歴、生い立ち、結婚や妻、子供、晩年や死因などについて紹介しています。

田村正和の経歴・プロフィール

田村正和のプロフィール
名前   田村正和
生年月日 1943年8月1日
没年月日 2021年4月3日(77歳没)
出身   京都府
身長   172cm
血液型  A型
所属   新和事務所(個人事務所)

田村正和の小学校

田村正和さんの出身小学校は 京都市立嵯峨小学校

京都府京都市右京区太秦生まれ。東京都世田谷区育ち。
父親は歌舞伎俳優、映画俳優の坂東妻三郎さん。
端正な顔立ちと高い演技力を兼ね備えた二枚目俳優としてとして親しまれ、「阪妻(バンツマ)」の愛称で呼ばれた大スターでした。
男ばかりの4人兄弟の三男で、長兄は俳優お田村高廣さん、次兄は元俳優で実業家の田村俊磨さん、弟は俳優の田村亮さん。

幼少期に住んでいた京都の実家は、田んぼに囲まれたのどかな田舎で敷地面積は数千坪あり、庭には4人兄弟が思い切り遊べるように、300坪の運動場がありました。
2面のテニスコートもあり、川も流れていたといいます。

小学校は京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂大門町にある嵯峨小学校に入学。
田村さんは幼少期になんとなく父親と同じ仕事がしたいと思っていたといい、その当時、俳優に興味を持っていたのは兄弟の中で1人だけで、そのことを知った父親は家に扮装(ふんそう)テストのスタッフまで呼んでくれるほど喜んだといいます。
9歳の時に父親が撮影中に持病の高血圧から体調を崩し、脳内出血のため51歳で他界。
10歳の時に東京都世田谷区に引っ越し、世田谷区立祖師谷小学校に転校し卒業しました。

田村正和の中学校・高校

田村正和さんの出身中学校・高校は 成城学園中学校・成城学園高校

東京都世田谷区成城6丁目にある男女共学の私立学校。
中学校の偏差値は55、高校の偏差値は63。
中学、高校時代はバスケットボール部に所属し、関東大会にも出場しました。

1960年、高校2年生の時に兄・高廣さんの主演映画『旗本愚連隊』の撮影現場を見学に行った際に勧められて、同映画に端役で出演。
翌年の1961年に松竹大船と専属契約を結び、同年9月公開の映画『永遠の人』で正式なデビューしました。

田村正和の大学

田村正和さんの出身大学は 成城大学 経済学部 (偏差値58)

東京都世田谷区成城6丁目にあり、中学校、高校に併設された私立大学。
高校から内部進学しました。

大学時代も俳優として活動し、大学1年生だった1962年に『パパにだまって』(TBS)でドラマ初出演。
翌年の1963年には大河ドラマ『花の生涯』に出演。
以降、5年連続でNHKの大河ドラマに出演しました。

田村正和の学歴

田村正和の学歴

小学校  京都市立嵯峨小学校
中学校  成城学園中学校
高校   成城学園高校
大学   成城大学

時代劇中心に活躍

大学卒業後の1965年、『われら劣等生』で映画初主演すると、同年だけで6本の映画に主演しました。
しかし、当時はあまり注目されることはなく、また、「作品を選んで出演を決めたい、台本が出来ないうちに出演を強制されたくない」と、年間10本の映画出演を打診されましたが、そのうち5本は断ったといいます。

1968年ののホラー時代劇『怪談残酷物語』で時代劇映画初主演を果たすと、翌年には『映画眠狂四郎 卍斬り』に出演。
後に眠狂四郎を演じますが、この時は狂四郎の命を狙う敵役での出演でした。
1972年のフジテレビ『眠狂四郎』では主演を務めました。

田村さんは同ドラマに出演するにあたり、「田村正和の代名詞になる程の作品がこれまでに無い気がするので、代表作にしたい」と、撮影前から東京の自宅を引き払い、京都に拠点を移したほど意気込んで撮影に臨み、ドラマはヒットし人気を獲得しました。
1977年に主演を務めたNHKの時代劇『鳴門秘帖』は現代的なタッチで脚色した時代劇で、新たなファン層を獲得。
1979年の『赤穂浪士』(テレビ朝日)では陰影の濃い哀愁ムードの風貌は女性ファンを引き付け、「憂愁の貴公子」と呼ばれたといいます。

現代劇でブレイク

時代劇で活躍した田村さんでしたが、1984年にTBSのコメディドラマ『うちの子にかぎって…』で主演を務めると、ちょっと頼りない優柔不断で生徒に振り回される小学校の先生役が見事にはまりドラマは大ヒット。

このドラマが転機となり、以降は『子供が見てるでしょ!』『パパはニュースキャスター』『パパは年中苦労する』など数々のコメディドラマに父親役で主演を務めました。

1994年から放送された刑事ドラマ『古畑任三郎』(フジテレビ)では「和製『刑事コロンボ』」と言われる新境地を開き、10年に渡って放送される当たり役となりました。

結婚歴や妻、子子度mお

田村正和さんは1970年、27歳の時に3歳年上で一般女性の和枝さんと結婚。
和枝さんは銀座の一流テーラーの娘で、友人宅のパーティーで出会い、2年の交際期間を経て結婚しました。
夫婦仲はよく、海外の撮影では和枝さんも帯同することもあったといいます。

子供は娘が1人で、1971年に誕生。
2001年にある起業の息子と結婚し、社長夫人になっていると報じられています。

晩年や死因

2021年2月に風邪をこじらせて入院。
周囲にはリハビリを行っていると伝えられていましたが、、同年4月3日に心不全のため死去。77歳でした。
死は関係者にも伏せられ、報じられたのは翌月の5月18日。
マネージャーにも報じられる1週間前まで死を知らされていなかったといいます。

遺作となったのはた2018年2月17日放送の『眠狂四郎 The Final』(フジテレビ)でした。

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