たけし軍団で、お笑いコンビ「浅草キッド」のボケ担当の玉袋筋太郎さん。
この記事では玉袋筋太郎さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
玉袋筋太郎の経歴
玉袋筋太郎の小学校
玉袋筋太郎さんの出身小学校は 新宿区立淀橋第一小学校
1997年6月22生まれ。東京都新宿区西新宿育ち。 本名は赤江 祐一(あかえ ゆういち)。
実家は父方の祖父が経てた西新宿の3階建ての「赤江ビル」で、1階には祖父母が住み、2階は父親が経営する雀荘、3階に玉袋さん一家が生活していました。
父親は元証券会社勤務でしたが退職し、雀荘の経営を始め、スナックなどもを経営していて両親は共働きでした。
3歳年上の姉がいていつも一緒に留守番をしていて、両親と過ごすより姉を一緒にいるほうがずっと長かったといいます。
ビルと土地は祖父が亡くなった後に父親が手放したそうです。
玉袋筋太郎の中学校
玉袋筋太郎さんの出身中学校は 新宿区立淀橋中学校
1997年に新宿区立淀橋第二中学校と統合され、現在は新宿区立西新宿中学校になっています。
部活には入ってなく帰宅部。運動は嫌いで体育はさぼっていて、中学3年生の1学期から3学期まで成績表の体育は1だったといいます。
さわやかな人や、汗をかいたりしてる人が嫌いで、周りには、
『おれは運動神経を切った』
と言っていたといいます。
お笑いが好きになったのは中学1年生の時で、冬休みにラジオの『ビートたけしのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)の初回放送を聴いて、ビートたけしさんのファンになったそうです。
玉袋筋太郎の高校
玉袋筋太郎さんの出身高校は 実践商業高校 (偏差値58~62)
東京都中野区中央二丁目にある男女共学の私立高校。
出身者には俳優のもたいまさこさん、上白石萌音さんなどがいます。
高校時代も帰宅部でした。
小学校の時の友人とビートたけしさんのおっかけをするようになり、ラジオ局の出待ちやラジオの放送終了後に焼肉屋「羅生門」に行くとの情報を聞き、入り待ちもするようになり、たけしさんはラジオの番組内で、
『三人組の高校生のおっかけのあんちゃんがいる。』
と話しこともあったといい、高校2年生の時には、たけしさんに芸名を付けて欲しい頼み、『鬼怒川マッサージ』の名前を授かりました。
高校卒業後も、ニッポン放送の出待ちを繰り返して顔を覚えられ、出入りを許されるようになったといいます。
玉袋筋太郎の学歴
「浅草キッド」を結成
1986年に高校卒業後に、ビートたけしさんに弟子入り。「これで部屋を借りろ」と20万円の支度金もらいました。
たけしさんが旧知の仲の島田洋七さんに依頼し、半年ほど付き人を務めた後、フランス座で修業
同じ追っかけでから弟子入りしフランス座で修業していた、5歳年上の水道橋博士と1987年に漫才コンビ『浅草キッド』を結成。
ライブハウスで精力的に活動し、1989年に渋谷109スタジオで初の単独ライブを開催。
1990年には『ザ・テレビ演芸』(テレビ朝日)の「飛び出せ笑いのニュースター10週勝ち抜きシリーズ」に出場し、みごと10週勝ち抜いて第5代目チャンピオンを獲得。
1991年にはテレビ東京の番組『ナベさんミッちゃんのまねまね天国!』で5週勝ち抜いてチャンピオンとなるなど若手の実力派漫才師として認められ、同年10月からは、ラジオ番組『オールナイトニッポン』の月曜第2部を担当。
翌年の1992年からは、テレビ東京の番組『浅草橋ヤング洋品店』などに出演し人気を集めました。
スナック好きで、2009年10月にお台場東京カルチャーカルチャーで、、スナック啓蒙イベント『玉袋筋太郎の”スナック玉ちゃん”』を開催。
2014年には一般社団法人『全日本スナック連盟』を設立し、会長を務めています。
2017年2月には自身がオーナーを務める『スナック玉ちゃん 赤坂本店』を東京・赤坂に開店し、5月には大阪・北新地に『スナック玉ちゃん 北新地店』をオープン。
2018年5月には東京・錦糸町に『スナック玉ちゃん 錦糸町店』、10月には北海道札幌市・すすきのに『スナック玉ちゃん すすきの店』もオープンしました。
玉袋筋太郎の妻や子供
玉袋筋太郎さんが結婚したのは26歳の時で、妻は一般女性。
妻は出会った時、妻は子供もいた既婚者で、略奪婚だったといいます。
子供は息子が1人で妻の連れ子です。