「極道の妻たち」シリーズの4代目「極妻」を務めた女優の高島礼子さん。
若い頃アマチュアレーサーとして活躍し、レースクィーンも務めました。
この記事では高島礼子さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
Contents
高島礼子の学歴
高島礼子の小学校
高島礼子さんの出身小学校は 横浜市立芹が谷小学校
1964年7月25日、神奈川県横浜市戸塚区生まれ。
父親は元高校教師で、その後は明治学院大学で英語を教えていました。会社員だった母親とは顔がよくに似ているといいます。2歳年上の姉がいる2人姉妹の次女。
父親は厳しくテレビは見せてくれず、「歴史の勉強になる」と例外的に見せてもらえたのは時代劇で、『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』をよく見ていたそうで、子供の頃から時代劇が好きでした。
子供の頃は内向的な性格で、とても人前に出る仕事を目指すタイプではなかったといいます。
高島礼子の中学校
高島礼子さんの出身中学校は 横浜市立芹が谷中学校
中学時代も内向的で、自己主張しないタイプでした。
『先輩と少し話しただけで「生意気」などと言われ、いじめられたりもしていて……。』
長いものには巻かれて、おとなしく、みんなの輪にも積極的に入っていくことはなく、いじめられることもあったといいます。
高島礼子の高校
高島礼子さんの出身高校は 野庭高校 (偏差値48)
神奈川県横浜市港南区日野中央2丁目にあった男女共学の神奈川県立高校。
2003年に横浜日野高校と統合され、現在は横浜南陵高校になっています。
出身者には実演販売士のレジェンド松下さん、お笑い芸人のゆーびーむ☆さんなどがいます。
高校時代に自立したいとの思いから、ガソリンスタントでアルバイトに励み、16歳で原付バイク免許を取得。
自分で運転してどこかへ行ける楽しさを知り、高校3年生の18歳の時には普通自動車免許を取得しました。
18歳の誕生日には、母親が20万円の日産ラングレーの中古車をプレゼントしてくれたそうでで、家の中に自分の部屋がなかったぶん、車の中が自分だけの場所になったそうです。
『ずっといじめられていた自分が、すごく自由で楽になれるのが車でした。』
父親には大学進学を勧められましたが、早く自立したかったため大学には進学せず、高校卒業は自動車関連会社に就職しました。
高島礼子の経歴 アマチュアレーサーとして活動
自動車関連会社に就職後、働きながらアマチュアレーサーとしてモータースポーツで活動を始め、21歳の時にはA級ライセンスを取得しレースに参戦。
当時はレーサーになりたいと思っていましたが、レースにはお金がかかりすぎたことからレーサーなることは断念し、レースに出ることを楽しんでいました。
その後、レースに費用を捻出するためにレースのキャンペーンガールとして活動を開始。
キャンギャルとしてサーキット場に通って人と触れ合っているうちに、内向的な性格は変わり 気が強くなっていったといいます。
「極道の妻たち」の4代目「極妻」
キャンペーンガールを始めて、1年半たった23歳の時、
『レースができないんだったらここにいてもなあ』
と思うようになり、キャンギャル仲間に芸能事務所を紹介してもらいモデル業を始め、1988年、24歳の時にリクルートの『とらばーゆ』のCMで芸能界デビュー。
このCMを見ていた松平健さんの紹介で、同年に『暴れん坊将軍III』(テレビ朝日)に御庭番・梢役で出演し女優デビューしました。
1993年12月公開の映画『さまよえる脳髄』でヒロインを務め、1999年3月公開の『極道の妻たち 赤い殺意』で岩下志麻さんの後を引き継ぎ、4代目極妻を演じました。
2001年公開の『長崎ぶらぶら節』では
第24回日本アカデミー賞優秀助演女優賞
を受賞しました。
2011年12月、属事務所を太田プロダクションからエイベックス・マネジメントへ移籍一部業務は太田プロと提携)しましが、2013年7月にはエイベックス・マネジメントとの業務提携契約が終了し、再び太田プロダクション所属となっています。
高島礼子の結婚歴や夫、子供
高島礼子さんは1999年2月、34歳の時に同い年で俳優の高知東生さんと結婚。
高知さんは離婚歴があり再婚でした。
馴れ初めは俳優仲間の紹介で、1996年9月に出会い、翌年の1997年9月には交際が報道され、交際期間約2年を経て結婚しました。
2016年6月に高知さんが覚醒剤と大麻所持の容疑で横浜市内のラブホテルで逮捕され、同時に不倫も発覚。その2ヵ月後の8月に離婚を発表。結婚17年目の離婚でした。
2人に子供はいませんでした。
離婚後、高島さんは再婚はしていません。