東京都出身の俳優で「クローズ」などの出演で知られる高橋努さん。
大学までサッカーを続け、高校時代まではプロを夢見ていました。
この記事では高橋努さんの学歴、経歴や俳優になったきっかけなどについて紹介しています。
Contents
高橋努の経歴・プロフィール
高橋努の高校
高橋努さんの出身高校は 国士舘高校 (偏差値51~55)
東京都江東区出身。幼少期にサッカーを始め、高校は国士舘高校に進学。
国士舘高校は東京都世田谷区若林4丁目にある男女共学の私立高校。
部活動が盛んで特に柔道部は全国タイトルは、全国高校最多です。
出身者には演歌歌手の小金沢昇司さん、俳優の中村倫也さんなどがいます。
高校時代はサッカー部に所属していました。
当時はプロを夢見ていましたが、高校2年生の時に大船渡高校と対戦。
1年生に後にサッカー日本代表になる小笠原満男さんがいて、試合は1対0で勝ちましたが、小笠原さんからまったくボールが取れず挫折を味わったといいます。
高橋努の大学 卒業後はフリーター
高橋努さんの出身大学は 国士舘大学 (偏差値45)
東京都世田谷区世田谷四丁目に本部がある私立大学。
出身者には多くのスポーツ選手の他、歌手の宮田俊哉さん(政治経済学部)などがいます。
高橋さんの学部は公表されていないようですが、大学で体育教師の免許を取得していることから体育学部のようです。
大学にはサッカー推薦で入学しましたが、高校時代の挫折からサッカーのプロ選手になる夢は絶たれていたといいます。
大学では何がやりたいのわからず、体育の教員免許を取得しましたが、大学卒業後は就職はせずにフリーターになりました。
高橋努の学歴
俳優デビューしたきっかけ
大学卒業後は3年ほど居酒屋でアルバイトをしていました。
その頃に観ていたのが映画『男はつらいよ』だったといいます。
寅さん映画が大好きでその影響もあり俳優を興味を持ち、高校の同級生に俳優のきたろうさんさんの息子で現在は俳優の古関昇悟さんがいて、彼が俳優志望でだったことから誘われて3人芝居のコントをしたそうです。
その時に、きたろうさんが来てくれて稽古をつけてくれ、きたろうさんの存在もあり25歳の時に俳優になろうと思ったといいます。
「ニナガワカンパニー」をクビ
25歳の時に芸能事務所の養成所に入所。
2005年にて蜷川幸雄さんの劇団「ニナガワカンパニー」のオーディションに合格し、舞台『メディア』のアンサンブルで初舞台を踏みました。
アルバイトをしながら活動していましたが、蜷川さんに「バイトなんかしてるから、フリーターみたいな顔をしてるんだ」と言われ、高橋さんも「確かにな」と思い、役者の仕事以外でお金を稼ぐのはやめようとアルバイトを辞め、生活は厳しくなりましたが、それからアルバイトをすることはなかったといいます。
2007年、演劇チーム『渋谷ハチ公前』を旗揚げ、高橋さんが主演、脚本、演出を務め、美術、小道具、稽古場の予約、チケットの販売などもずべてひとりでこなしました。
ある日、蜷川さんにそれがバレて、「ここはニナガワカンパニーで高橋カンパニーじゃない。高橋カンパニーがあるならそっちでやれ」とクビになったといいます。
しかし、以前から「おまえの顔と芝居の仕方は日本では売れないから、イギリスに行け」と言われていたといい、後に蜷川さんが高橋さんは「外」で芝居をやった方がいいとの思いがあったことを知ったそうです。
映画「クローズZERO」で注目を浴びる
2004年7月の『愛情イッポン!』(日本テレビ)でドラマデビュー。
2007年8月公開の『伝染歌』で映画ビューし、同年10月公開の『クローズZERO』でメインキャストの牧瀬隆史を演じ注目されました。
当時、29歳でした。
演じる役は作業着を着る役が多く自分でも「作業着俳優」と呼んでいると話しています。
コメント