高橋惠子の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 高橋惠子 俳優

15歳の時に映画「高校生ブルース」で衝撃のデビューをした女優の高橋惠子さん。

大人びた美貌と大胆な演技で注目を集めたました。

この記事では高橋惠子さんの学歴、家歴、生い立ちを紹介します。

高橋惠子の学歴

高橋惠子の学歴

小学校 不明
中学校 相模原市立大野南中学校
高校  通信制の高校
大学  進学していません

高橋惠子の小学校

高橋惠子さんの出身小学校は 不明

出生名は関根惠子。

北海道川上郡標茶町出身、両親が開拓で入り実家は酪農農家を営み、牛、馬、豚、山羊、鶏を飼育していました。

牛は20頭くらい、馬も3、4頭いたそうで、ジャガイモ、にんじん、ビートなどの野菜も栽培していましたが生活は貧しかったといいます。

兄弟は10歳年上の兄がいましたが、生まれて間もなく脳性麻痺になり、歩くこともできず、13歳で亡くなりました。

高橋惠子さんが3歳の時で、兄の死は理解できなったそうです。

住んでいた場所は田舎で、小学校までは片道1時間かかり、冬には氷点下20度を下回るような地でした。

小学校では放送部に所属。

高橋さんは8歳の時に、母牛が死んでしまったことから両親は酪農を廃業し、釧路市に移りました。

友達と別れるのつらかったですが、転校の日にみんな裕福ではなかったのに、お小遣いを出し合ってハーモニカをプレゼントしてくれて、嬉しくて涙が溢れたといいます。

その後、父親の仕事の関係で北海道内で何度か転居したの後、父親の「娘を東京で育てたい」、「大学に行かせたい」との希望で、小学6年生の時に東京都府中市に引っ越し、その後、神奈川県相模原市に移りました。

高橋惠子の中学校

高橋惠子さんの出身中学校は 相模原市立大野南中学校

中学時代は北海道の方言からいじめられたこともあったといいます。

1968年、中学2年生の時、近所の写真屋で大映映画のスチールカメラマンにスカウトされ、中学卒業と同時に大映に入社しました。

父親は元々俳優志望でしたが、福島県出身でなまりのため断念した経験があったことから、スカウトされたことを喜び、母親も宝塚ファンで芸能の仕事には理解があり、応援してくれたそうです。

大映入社までの1年間は、大映の研修所へ通い演技のレッスンを受けました。

その頃に「第1回ミスセブンティーン」コンテストが開催され、カメラマンに出場を勧められて歌の審査たあるからとレッスンに通うと、小学6年生のすごい歌唱力の絹代ちゃんという女の子いて、その子は後の石川さゆりさんでした。

「ミスセブティーン」コンテストでは、決勝大会の最後の3人までは残りましたが、グランプリを獲得することはできませんでした。

高橋惠子の高校

高橋惠子さんの出身高校は NHKの通信教育

高校受験はせず通信制の高校に入りました。

『高校も通信教育だったので学生時代と言えるのは実質中学校まで。』

大映に入社後、3カ月間マンツーマンで特訓を受け、1970年8月公開の映画『高校生ブルース』で、15歳で主演デビューしました。

『高校生ブルース』はヌードシーンがあり、衝撃的なデビューでしたが、最初は内容は知らなかったそうです。

「これをやってもらいます」と台本を渡され、内容も知らずに勢いで「はい」と返事をしてしまい、家に帰って台本を読んでびっくりしたといます。

断ろうと思えば断れたし、抵抗もありましたが返事をしてしまった以上やるしかないと出演を決めたそうです。

同年11月公開の『おさな妻』でも主演を務め、

第8回ゴールデン・アロー賞・新人賞

を受賞しました。

高橋惠子の経歴

高橋惠子のプロフィール

名前   高橋惠子
生年月日 1955年1月22日
出身   北海道川上郡標茶町
身長   162cm
血液型  AB型
所属   ブロウアップ

1971年11月に大映が倒産し東宝に移籍。

1972年7月からテレビドラマ『太陽にほえろ!』にヒロインの七曲署(ななまがりしょ)の女性警官・内田伸子/シンコ 役で2年間レギュラー出演し人気女優となりました。

1977年に人間関係などのストレスから睡眠薬を大量に飲み、自殺未遂を起こし、女優業を一時休業、当時、交際していた男性と岐阜県の飛騨の山奥で2年暮らしました。

1979年に女優復帰し、7月に舞台出演が決まりましたが、すっぽかしてまいタイのバンコクに逃亡。

11月に帰国し謝罪会見を開き、翌年の1980年にサスペンスドラマで女優復帰。

1983年は大河ドラマ『徳川家康』にお久 役で出演し大河ドラマ初出演、

1992年には大河ドラマ『信長 KING OF ZIPANGU』に織田信長の母・るい 役で1年間出演しました。

2012年11月公開の映画『カミハテ商店』では23年ぶりに映画主演を務めました。

高橋惠子の結婚と子供

1982年、27歳の時に、6歳年上の映画監督の高橋伴明さんと結婚。

同年6月公開の高橋伴明さんガ監督を務めた映画『TATTOO<刺青>あり』に高橋惠子さんがヒロイン役で出演したことで出会い、交際がスタート。

交際期間約4ヶ月で結婚しました。

それまでは本名の関根惠子で活動をしていましたが、結婚を機にに芸名を高橋惠子に変えました。

子供は娘と息子の2人で、1983年に長女、1986年に長男が誕生。

長女の佑奈さんは女優で、高橋惠子さんのマネージャーも務めています。

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