高木ブーの学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 高木ブー 芸人

ザ・ドリフターズのメンバーで、バンド時代はギターを担当していた高木ブーさん。

コントでも当たり役となった雷様キャラでも知られています。

この記事では高木ブーさんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介します。

高木ブーの学歴

高木ブーの学歴

小学校  豊島区立仰高小学校
中学校  京北学園中学校
高校   京北学園白山高校
大学   中央大学

高木ブーの小学校

高木ブーさんの出身小学校は 豊島区立仰高小学校

東京都豊島区巣鴨生まれ。本名は、高木 友之助(たかぎ とものすけ)。
父親はが水道やガスのメーターを作る会社に勤務するサラリーマンで、住んでいたのは木造平屋の社宅でした。
年の離れた兄が3人、姉が2人いる6人兄弟の末っ子で、すぐ上の兄でも8歳、1番上の兄は19歳年上でした。

生活は裕福で、自宅には当時はまだ珍しかったレコードプレーヤーがあり、幼少期からジャズなどに親み、初めてジャズを聴いた時には衝撃を受けワクワクし、小学校での歌などと違って刺激的だったといいます。

小学生の時には集団疎開も始りましたが、高木さんは巣鴨で両親を暮らし続け、そういう子供は『残留組』と言われ、5クラスだった生徒の1クラスの人数が『残留組』でした。

小学6年生の時に『東京大空襲』で自宅は全焼し、その後は母親の実家のある千葉県柏市に移りました。

高木ブーの中学校・高校

高木ブーさんの出身中学校、高校は 京北学園中学校・京北学園白山高校

東京都北区赤羽台にあった私立の男子校。2011年3月に学校法人京北学園が東洋大学と合併し閉校。
現在は東洋大学京北中学高校になっています。
出身者には俳優の植木等さんなどがいます。

学校には柏から常磐線と都電を乗り継ぎ通いました。

中学1年生の時に終戦を迎え、玉音放送を聞いて日本が負けたことを知った時に頭が真っ白になったといいます。

15歳の誕生日にハワイアンのファンだった兄から、ウクレレをプレゼントされたことがきっかけで、ウクレレを独学で学び、高校時代には友人に誘われてハワイアンバンドを結成。

中学から高校にかけてはボクシングも習っていて、当時の体重は50kgくらいで階級はフライ級でした。

指を怪我したがウクレレが弾けなくなると思って、高校の時にボクシングはやめたといいます。

高木ブーの大学

高木ブーさんの出身大学は 中央大学 経済学部(偏差値66)

東京都八王子市東中野に本部がある私立大学。
大学入学後は音楽研究会に入り、1学年上にはクレージーキャッツの谷啓さんがいました。

ハワイアンバンドを結成し、アルバイトとして演奏もしていて、大学卒業後は父親のツテで東京ガスにし就職が決まっていましたが、アルバイトのバンド演奏で当時の大卒の初任給以上のギャラを稼ぐ月もあったことから、就職を蹴ってバンドマンの道に進みました。

高木ブーの経歴

高木ブーのプロフィール

名前   高木ブー
生年月日 1933年3月8日
出身   東京都豊島区巣鴨
身長   160cm
血液型  O型
所属   イザワオフィス

大学卒業後はプロのバンドマンとなり、高木智之の芸名で活動。

自身がバンドのリーダーを務める「高木智之とハロナ・セレナーダス」「高木智之とハロナ・リズム・コーラス」を結成しました。

当時はちょっとしゃれた居酒屋くらいになると、必ずバンドが入っていて、演奏する場所は多く、食べていくのには全く困らなかったそうです。

アメリカ軍のキャンプを回り、返還前の沖縄や台湾、フィリピンなどを巡るワールドツアーも行いました。

その後、人気歌手だったジェリー藤尾さんから声がかかり「ジェリー藤尾とパップ・コーンズ」のメンバーとしても活動し、仲本工事さんと出会っています。

横浜のジャズ喫茶で演奏中に、コミックバンド向きの外見だからと、いかりや長介さんにスカウトされ、1964年9月に『ザ・ドリフターズ』に加入。

31歳の時でした。

自分がリーダーのバンドを持っていたため、最初は断りましたが、説得されて加入したといいます。

ドリフに加入後、太っているという理由で芸名を高木ブーに改名。

コミックバンドとして音楽コントなどを披露するようになり、1966年6月にはビートルズ日本公演の前座を務めました。

1969年10月から『8時だョ!全員集合』(TBS系)が放送開始。日本のバラエティ番組史上の最高視聴率の50.5%を記録し、『お化け番組』と呼ばれました。

1977年2月から放送が開始された『ドリフ大爆笑』(フジテレビ系)では『長介・工事・ブー おなじみ雷様』コントがシリーズ化され、雷様は高木ブーさんの当たり役になりました。

高木ブーの妻と子供

高木ブーさんは1962年、28歳の時に眼科に秘書をしていた、3歳年下の喜代子さんと結婚しました。

馴れ初めは知り合い主催したダンスパーティで、高木さんの一目惚れから交際がスタート。

交際期間約5年を経て結婚しましたが、当時はまだ無名で、不安定なバンドマンとの結婚は喜代子さんの家族は反対で、唯一、喜代子さんの祖母だけが賛成してくれて、結婚することが出来たそうです。

子供は娘が1人で、結婚の翌年の1963年に誕生しています。

高木さんは愛妻家として知られましたが、喜代子さんは1994年に58歳の若さ脳腫瘍のために他界。

娘は2004年に結婚し、男の子の孫が1人誕生しています。

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