高田純次の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 高田純次 タレント

テキトー男キャラで知られるタレント、俳優の高田純次さん。
この記事では高田純次さんの学歴、経歴、生い立ちや、芸能界入りのきっかけ、結婚や妻、子供などについて紹介しています。

高田純次の経歴・プロフィール

高田純次の経歴・プロフィール

名前   高田純次
生年月日 1947年1月21日
出身   東京都
身長   175cm
血液型  O型
所属   テイクワン・オフィス

高田純次の小学校 祖母と継母の間で板挟み

高田純次さんの出身小学校は 調布市立第二小学校

東京都北多摩郡調布町大字国領(現・調布市国領町)出身。
父親は東京ガスに勤務する真面目なサラリーマンでした。
母親は3歳の時に32歳の若さで病気のために他界。
そのため母親のことはほとんど覚えていないといいます。

その後、父親は再婚。母親違いの弟と妹が誕生しています。
継母と同居していた祖母の折り合い悪く、高田さんは板挟み状態になり、祖母と継母の顔色をうかがわなければならなかったといいます。
祖母と継母が争うと、父親はいつも継母の肩を持ったため、高田さんは空気を読んで祖母に寄り添うようになり、兄弟たちが外に出かけた時も高田さんは自宅に残り、祖母と一緒に過ごしていたそうです。
小学校は東京都調布市国領町4丁目にある調布市立第二小学校に入学。
小学生の時は成績優秀で「神童」と呼ばれていたといいます。

高田純次の中学校

高田純次さんの出身中学校は 調布市立第三中学校

東京都調布市染地3丁目にある公立中学校。
同中学校の出身者のは俳優の岸本加世子さん、作家の井上荒野さんなどがいます。

中学時代も成績はよく、学年で常に10位以内に入っていました。
小学生の時から親戚のおじさんに絵を習い、小学校、中学校時代は絵も得意で、展覧会で何度も入賞し絵の道で行くことも考えていたといいます。

高田純次の高校 大学受験に失敗

高田純次さんの出身高校は 府中高校 (偏差値54)

東京都府中市栄町3丁目にある男女共学の東京都立高校。
同高校の出身者には歌手の布施明さん、俳優の吉沢亮さん(後に転校)などがいます。

高校は第一志望は都立の国立高校(偏差値72)でしたが落ちてしまい、府中高校に入ったそうです。
高校時代も絵を描いていて、映画雑誌に女優の絵を応募したりもしていましたが、いつも佳作止まりでした。
友人と朝まで麻雀をやって、他のみんながぐったりしている中、高田さんだけは朝になってもうるさかったことから高校時代のあだ名は「国領のニワトリ」。

大学に進学して弁護士になろうと思い、中央大学、明治大学、青山学院大学、法政大学を受験しましたが全部不合格。
1年の浪人後は東京芸大、武蔵野美大、多摩美大、日大芸術学部といった美術系大学も受けましたが不合格。
2度の受験の失敗で大学の進学は諦め、専門学校に入学しました。

高田純次の専門学校

高田純次さんの出身専門学校は 東京デザイナー学院

東京都千代田区神田駿河台2丁目にあるデザイン系の専門学校。
多くのアニメーターや監督、演出家、漫画家などを輩出してる学校です。

高田さんはグラフィックデザイナーを目指して、グラフィックデザイン科に入学。
卒業後はどこかのデザイン系の会社の社員になりたいと思っていましたが就職先がなく、写真会社にアルバイトで入り、教習所で顔写真などを撮っていました。

高田純次の学歴

高田純次の学歴

小学校    調布市立第二小学校
中学校    調布市立第三中学校
高校     府中高校
専門学校   東京デザイナー学院

芸能界入りしたきっかけ

写真会社でのアルバイト時代に舞台の仕事をしている知人にパンフレット描きを頼まれたことがきかっけで、自由劇場の『マクベス』を鑑賞。
初めて観た演劇に感動し、1971年に自由劇場の養成所の試験を受けて1期生として入所。
当時の仲間には柄本明さん、ベンガルさん、イッセー尾形さんなどがいました。
養成所を卒業した1年後にはイッセー尾形さんらと『うでくらべ』という劇団を結成しましたが、半年ほどで解散しています。

ジュエリーデザイナーとして活動

演劇では食べていけず、結婚をしたこともあり26歳の時に宝石の卸会社に入社。
宝石鑑定士の資格を取り、ジュエリーデザイナーをしていました。

『昔の仲間に会って、また芝居に戻ってしまいました。妻子もいたのに会社を辞めた。今でも「魔が差した」と思っています。』

就職して4年後、新宿の居酒屋で偶然、柄本さんやベンガルさんに再会。
当時、柄本さんらは劇団『東京乾電池』を旗揚げしたばかりで誘われ、その時から劇団に加わることを悶々と考えるようになり、妻に内緒で会社を退職し、1977年30歳の時に劇団に加入。
子供もいて貯金はマンションの頭金として貯めていた200万円しかなく、妻には散々泣かれたといいます。

結婚や妻、子供

高田さんが結婚したのは1973年、26歳の時。
妻は1歳年下で日本舞踊の師範。
子供は娘が2人で、1976年に長女、1981年に次女が誕生しています。
長女はファッションデザイナーで、TAGE(タージュ)という自社ブランド立ち上げ、デザイナーを務めています。

「5時から男」でブレイク

1977年に「劇団東京乾電池」に入団後は、工事現場でアルバイトをしながら活動。
1980年に『笑ってる場合ですよ!』(フジテレビ)初のレギュラー出演を果たし、この頃にアルバイトを辞めることができたといいます。
1982年から2年間『笑っていいとも!』(フジテレビ)の水曜レギュラーを務め、1985年4月から『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ)にレギュラー出演。
1987年から放送された中外製薬のCM「5時から男のグロンサン シリーズ」でブレイクし、その後は司会者、タレント、俳優として活躍しています。

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