田島令子の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 田島令子 声優

声優としても活動し、銀河鉄道999のエメラルダスやベルサイユのばらのオスカルを担当した俳優の田島令子さん。
多くの映画、ドラマで吹き替えも担当しました。
この記事では田島令子さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

田島令子の学歴

田島令子の学歴

小学校  横須賀市立諏訪小学校 
中学校  緑ヶ丘女子中学校
高校   緑ケ丘学院高校
大学   日本大学

田島令子の小学校

田島令子さんの出身小学校は 横須賀市立諏訪小学校

1949年2月、東京都新宿区四谷生まれ、神奈川県横須賀市育ち。兄弟はなく一人っ子。
人と接するのが苦手な人見知りで、幼少期は読書をしたり、ひとり遊びをしていることが多かったといいます。
卒業した横須賀市立諏訪小学校の卒業生には、物理学者でノーベル賞を受賞した小柴昌俊さんがいます。

田島令子の中学校・高校

田島令子さんの出身中学校・高校は 緑ヶ丘女子中学校・緑ヶ丘学院高校

神奈川県横須賀市緑が丘39にる私立の女子校。
1947年3月に 横須賀女子商業学校として設立された学校で中学校の偏差値は41、高校の偏差値は43~51。
高校の設置学科は普通科のみですが、特進・看護医療コース・総合・進学コース・幼児教育コースに分かれています。
出身者には歌手の渡辺真知子さんなどがいます。

中学時代はダンス部に所属していました。
高校時代に小さい劇団に所属していた友達に誘われて舞台に立ったことがあり、その時は面白かったそうですが、大学受験の時期になったの高校で舞台に立ったのは、その1度きりだったそうです。

田島令子の大学

田島令子さんの出身大学は 日本大学 芸術学部演劇学科(偏差値52)

東京都千代田区九段南四丁目に本部がある私立大学。
芸術学部のキャンパスは練馬区の江古田キャンパスです。

大学に進学しようと思ったのは、ただ女子大生になりたいと思っていただけだといい、特に行きたい大学や学部はなかったそうで、そんな田島さんは母親に、

『あなた、もしかして推薦で大学に行くとでも思っていたら大きな間違いです。大学というのは、自分が好きな分野を選んで行くものです』

と言われ、高校で1度演劇をやって面白かったので、「演劇をやるにはどうしたらいいんだろう?」と調べて、日本大学芸術学部の進学を決めたそうです。

演劇学部を選んで入学しましたが、演劇は一切やりませんでした。

『学生演劇は、何か青臭くて好きじゃないんですよね。自分が青臭いのに何を言っているんでしょうね(笑)』

大学ではサークルにも入らず、2年生の時には学生闘争で突然、芸術学部の校門に椅子や机でバリケードを張られ、1年間は学校に入れなかったそうです。
その1年間はラジオ局のニッポン放送で雑用のアルバイトをしていました。

3年生になって授業が始まると、2年と、3年の授業が一気に進められ大変だったそうです。
1971年、大学4年生の時に、就職のつもりで『劇団雲』に研究生として入団し、1972年に大学を卒業しました。

田島令子の経歴

田島令子のプロフィール

名前   田島令子
生年月日 1949年2月17日
出身   神奈川県横須賀市
身長   164cm
血液型  B型
所属   アルファエージェンシー

1971年に『劇団雲』に入って間もなく、HNKの『おかあさんといっしょ』の朗読を担当し、童話朗読番組『おはなしこんにちは』のお話のお姉さんも担当。
同年10月公開の『喜劇 頑張らなくっちゃ!』の端役で映画デビューもしました。

舞台が楽しくで、一生舞台俳優をやっていこうと思っていましたが、テレビや映画の仕事がどんどん入ってきたそうで、ギャラは入りましたが田島さんは不本意で、周りに、

『何でお前が売れているんだ?』

と言われてんも、不思議に思っていたといいます。

1974年の映画『メカゴジラ対ゴジラ』では女優では一番手の準主役を演じました。

声優としてオスカル、エメラルダスを担当

1977年にアメリカのSFドラマ『地上最強の美女バイオニック・ジェミー』の主役を吹き替えを担当。
以来、声優としても活動し、1979年から放送されたアニメ『ベルサイユのばら』ではオスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ役、『クイーン・エメラルダス』では主人公のエメラルダス役などの人気キャラクターの声優を務め、『銀河鉄道999』でもエメラルダスの声優を務め、多くの吹き替えも担当しました。

以降も海外映画、ドラマ吹き替えやナレーションの仕事は絶えることなく、俳優と並行して人気声優として活躍しました。

田島令子の結婚や夫、子供

田島令子さんは結婚はしてなく、夫も子供もいません。

過去に結婚歴もないようです。

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