1980年代にトップアイドルとして活躍した田原俊彦さん。
ビッグ発言で仕事が激減しました。
この記事では田原俊彦さんに学歴、経歴、生い立ちについて紹介します。
田原俊彦の学歴
田原俊彦の小学校
田原俊彦さんの出身小学校は 甲府市立甲運小学校
神奈川県横須賀市生まれ、山梨県甲府市育ち。
父親は小学校の教師、姉が2に、妹が1人います。
小学校は横須賀市立馬堀小学校に入学、入学後間もなく父親が、糖尿病のため36歳で他界。
小学校1年生の時に、母親の実家のある山梨県甲府に移り、甲府市立甲運小学校に転校しました。
母親は昼は農協で事務職、夜は喫茶店で働いていましたが、母子家庭での生活は貧しかったといいます。
小学生時代は野球チームに所属していました。
田原俊彦の中学校
田原俊彦さんの出身中学校は 甲府市立東中学校
中学時代は野球部に所属していました。
生活が厳しかったことから、家計を助けるために新聞配達のアルバイトや、夏休みには親戚の家のぶどう園の手伝いをしていました。
新聞の配達先は農家が多く、田舎で一軒一軒が離れてたため大変だったといいます。
田原俊彦の高校
田原俊彦さんの出身高校は 甲府工業高校土木科(偏差値44)
山梨県甲府市塩部にある男女共学の県立高校。
貧しい生活から抜け出して家族を楽にさせたいとの思いと、3人の姉妹の影響で芸能界に憧れを持ち、高校入学直後の1976年5月にジャニーズ事務所に履歴書を送りましたが、返事はきませんでした。
そのため、夏休みの8月のアポなしで東京のジャニーズ事務所を訪れ、事務所の前を10往復ぐらいするとスタッフに声をかけられ、「山梨から出てきました。ジャニーズ事務所に入りたいんですけど、ジャニー(喜多川)さんいますか?」と聞くと日本劇場にいると教えられ、そのまま向かったといいます。
ジャニーさん会うと、スタッフから連絡があったようで、日劇のショーを見せてもらった後、洋食屋でナポリタンをご馳走になり、「スターになりたいんです」というと、「じゃ、来週からレッスンに来なさい」と所属が認められたそうです。
高校時代は週末に東京に通いレッスンを受け、高校卒業と同時に上京。
テレビの初出演は、1978年秋の高校3年生の時で、テレビ朝日の子供向け番組『とびだせ!パンポロリン』で、歌と体操のお兄さんの代役での出演でした。
田原俊彦の経歴
1979年4月に上京後、、川崎麻世1さんのバックコーラス、ダンス、フォーリーブスのおりも政夫さんの1ヶ月の付き人などを経て、同年10月に学園ドラマ『3年B組金八先生』(TBS)に沢村正治役で出演しドラマデビュー。
同ドラマで共演した近藤真彦さんと野村義男さんと『たのきんトリオ』の愛称で人気を博し、当時、田原俊彦さんに届いていたファンレターは最高で18万通を超えていたといいます。
1980年6月に『哀愁でいと』で歌手デビュー、オリコンチャート2位にランクイン。
同年9月の2枚目のシングル『ハッとして!Good』は1位になり、年末には第22回日本レコード大賞・最優秀新人賞、第11回日本歌謡大賞・放送音楽新人賞などを受賞。
1988年4月から放送されたフジテレビ系ドラマ「びんびんシリーズ」の2作目の主演ドラマ『教師びんびん物語』は24.9%の高視聴率を記録し、翌年に放送された『教師びんびん物語II』は最高視聴率31.0%を記録しました。
独立とビッグ発言
1991年1月に個人事務所『DOUBLE “T” PROJECT』を設立、ジャニーズ事務所と並行して所属していました。
1994年2月に長女が誕生し、記者会見を開きましたが、マスコミ嫌いで知られた田原俊彦さんは、
『今日はお忙しい中、マスコミ嫌いの田原俊彦のために、こうしてお暇な時間にお集まりいただき、ありがとうございました。この場に挑むことになり、意に反することもありますが、僕のエンジェルちゃんのために頑張ります』
とマスコミを挑発し、
『何事も隠密にやりたかったんだけど、僕ぐらいビッグになっちゃうとそうはいきませんけどもね、よくわかりました、はい』
と発言し、この「ビッグ発言」がメディアや世間の反感を買うことになってしまいました。
この会見の翌月の3月にジャニーズ事務所からの独立を発表、4月に独立しました。 以降はテレビ出演が減り、1996年に事務所は倒産。
その後はテレビ出演することはなくなりましたが、毎年コンサートツアーやディナーショーを全国各地で行い、再びマスコミの注目を集めるようになり、2011年10月からは『爆報! THE フライデー』(TBS)にMCとして出演。
シングルは2023年6月までで74枚をリリース、74枚目の『ダンディライオン』はオリコンチャート13位になっています。
田原俊彦の妻と子供
田原俊彦さんが結婚したのは1993年10月、32歳の時でした。
妻は元モデルで11歳年下の向井田彩子さん。
神奈川県出身で、1991年にはB.V.D.キャンペーンガール、1992年にはブリヂストンイメージガールを務め、ファッション雑誌『CanCam』モデルとしても活動していました。
馴れ初めは田原俊彦さんの一目惚れ。
雑誌で見た向井田彩子さんに一目惚れし、雑誌の関係者に頼み、ディナーショーに招待。
猛アタックの末に交際がスタートしました。
子供は娘が2人、長女が1994年、次女が1996年に誕生しています。
長女の可南子さんは、原宿でのスカウトされたことをきっかけに芸能事務所へ所属して、綾乃 美花(あやの みか)の芸名で芸能活動を始め、父親は伏せて応募したミスマガジン2011では準グランプリを獲得。
同年10月に『もっと熱いぞ!猫ヶ谷!!』(名古屋テレビ放送)ドラマデビュー、2012年の映画『悪の教典』で映画デビュー。
大学卒業の見通しが立った2015年12月からは、本名の田原可南子に改名し活動しています。