サイトアイコン 学歴・経歴report

立川志の輔の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 立川志の輔

富山県出身の落語家で、司会者としても知られる立川志の輔さん。
落語家に入門したのは28歳の時でいた。
この記事では立川志の輔さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

立川志の輔の学歴

立川志の輔の学歴

小学校  不明
中学校  不明
高校   新湊高校
大学   明治大学

立川志の輔の小学校・中学校

立川志の輔さんの出身小学校・中学校は 不明

1954年2月15日生まれ、富山県新湊市(現・射水市)出身。本名は竹内 照雄(たけうち てるお)。
幼少期に両親は離婚、母親に引き取られましたが3歳の頃には母親が病気で亡くなり、新湊市で古道具店を営む母方の祖父母宅で、祖父母と母親の兄の伯父夫婦に実の息子のように育てられました。
両親に記憶はほとんどないといいます。

小学校、中学校は射水市の公立学校のようですが、学校名は不明。
子供の頃から口から生まれたのかと言われるぐらいよくしゃべっていたそうです。
実家は商店街のど真ん中にあり、小学生の時に放課後に近所の肉屋や魚屋でお手伝いの真似事をして、「はい、おつり50万円」などと言ってお客さんを笑わせることが好きだったといいます。
中学時代はソフトテニス部に所属。
中学3年生の時には、出られなくなった人の変わりに出場した富山県の弁論大会中学生の部で優勝。
その時、先生には「これから一生懸命勉強してアナ ウンサーになれ」と言われそうです。

立川志の輔の高校

立川志の輔さんの出身高校は 新湊高校 普通科(偏差値54)

富山県射水市西新湊にある男女共学の富山県立高校。設置学科は普通科と商業科。
出身者には漫才コンビ・雷鳥の藤沢さなえさんなどがいます。
高校入学後は祖父が建てた別家で1人暮らしを始めたといいます。
高校時代もソフトテニス部に所属し、富山代表としてインターハイにも出場しました。

立川志の輔の大学

立川志の輔さんの出身大学は 明治大学 経営学部 (偏差値65)

東京都千代田区神田駿河台一丁目に本部がある私立大学。
大学在学中には伯父夫婦から仕送りをしてもらい、4畳半一間の風呂無しトイレ共同・家賃9000円のアパートで生活していました、
もともとは落語にあまり興味はありませんでしたが、入学時のサークルの勧誘で落語研究会に入りました。

『2年先輩の人たちが落語をやっているんです。そうすると、若者たちが100人以上集まっていて、同じところでドーン、ドーンと笑うんですよ。“この人が言うひと言でこの塊が笑うんだ、これが落語か!”と思って、その一瞬で虜になったようなものですね』

勧誘され、連れて行かれた先で先輩の落語を見て感動し、落語研究会に入ったといいます。
落語研究会の2年先輩には三宅裕司さん、2年後輩には渡辺正之さんがいました。
三宅さんから高座名「紫紺亭志い朝」を受け継ぎ5代目紫紺亭志い朝として活動。6代目は渡辺さんに譲りました。

当時は落語のプロになろうとは思ってなく、大学卒業後は、「演劇を勉強してみたい」という思いからアルバイトをしながら、劇団「シェイクスピア・シアター」や劇団「昴」の養成所に所属し演劇を勉強していました。

立川志の輔の経歴 落語家デビュー

立川志の輔のプロフィール

名前   立川志の輔
生年月日 1954年2月15日
出身   富山県射水市
身長   176cm
血液型  A型
所属   シノフィス

大学卒業後のアルバイト生活中に、よく行っていた新宿ゴールデン街の飲み屋で知り合った広告代理店関係者に誘われて、金沢の広告代理店に就職
会社ではCM制作に携わり、ディレクターとして制作した仏壇店のコマーシャルは石川県で30年以上放映されました。
28歳の時に、頭の片隅にあった落語への思いが忘れられず、「このまま会社にいるのは失礼で、自分自身が辛い」と感じ、区切りをつけるために会社を退社。

落語家への入門は半年近く悩み、大学の同級生で落研でも一緒だった談志門下の立川談之助さんに相談し、落語の道に進むこと決意。
1983年1月、28歳で立川談志さんに入門しました。
前座修行中は通常ほぼ無収入ですが、前職の広告関係の知り合いから、ナレーションのなどの仕事の依頼をもらい、小遣い程度の収入はあったといいます。
1984年10月、二つ目に昇進。
1985年にTBSテレビ『朝のホットライン』レポーターに就任すると、他の放送局からの仕事も一気に増えて売れっ子となりました。
1990年5月、36歳の時に「志の輔」の名前のまま、落語立川流真打に昇進。
1995年にはNHK『ためしてガッテン』にの司会に就任。リニューアル後の『ガッテン!』を含めると、2022年2月まで、27年間出演しました。
落語家としては「チケットの取れない落語家」として知られています。

立川志の輔の結婚歴や妻、子供

立川志の輔さんが結婚したのは20代の頃。まだ広告代理店に勤務していた時でした。
妻は高校の同級生。
子供は息子が1人で、1989年10月に順平さんが誕生。
竹内順平さんは落語に興味がありましたが、志の輔さん弟子にする気はなく断り、落語家にはなりませんでした。
順平さんは大学卒業後、全国300種類以上の梅干しを食べ歩き、25歳の時に大学の同級生と「BambooCut」という会社を設立。
「立ち喰い梅干し屋」を経営したり、梅干しのイベントを開催しているようです
2020年10月にはフリーアナウンサーの佐藤千晶さんと結婚しています。

モバイルバージョンを終了