ドラマ「相棒」の小料理屋「花の里」の2代目女将を演じていた女優の鈴木杏樹さん。
歌手としてデビューしました。
この記事では鈴木杏樹さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
鈴木杏樹の経歴・プロフィール
鈴木杏樹の小学校
鈴木杏樹さんの出身小学校は 不明
兵庫県神戸市生まれ、神戸市・大阪府箕面市育ち。出生名は鈴木 香公子(すずき かくこ)。弟がいる長女。
実家は裕福だったといわれています。
入学した小学校は、一部で箕面市立萱野小学校との情報がありましたが、確証はなく不明。
子供の頃は人見知りが激しく、人前で話すことはまともにできず、男の子とは話すことができなかったといいす。
小学3、4年生の頃にはは『夜のヒットスタジオ』、『ザ・ベストテン』を見てアイドルに憧れていました。
鈴木杏樹の中学校・高校
鈴木杏樹さんの出身中学校は マリスト国際学校中等部・マリスト国際学校高等部
兵庫県神戸市須磨区千守町1丁目にある男女共学のインターナショナルスクール。
1951年に創立された学校で、幼稚園、初等部からありますが、鈴木さんは中等部から入学。
子供の頃から人見知りだった鈴木さんを心配した母親が入学させたそうで、この学校に入ったことで明るい性格になったといいます。
中学入学後に歌手目指して音楽教室に通うようなり、レッスンを受けていました。
その音楽学校では年に1回発表があってレコード会社の人も見に来たといい、17歳の時にキャンディーズ、山口百恵さんのプロデューサーを務めた酒井政利さんにスカウトされ高校2年生の時に学校は中退。
鈴木さんは上京するものと思っていましたが、鈴木さんがインターナショナルスクールに通っていて英語が話せたことから、レコード会社の「日本人歌手を海外でデビューさせよう」との方針で、1987年にロンドンに単身で渡りました。
ロンドンではレコーディングスタジオで下働きしながらレッスンを受け、2年ほど経験を積みました。
鈴木杏樹の学歴
イギリスで歌手デビュー
1990年2月に、英CBSレコードから『KAKKO』名義で『We Should be Dancing』をリリースしイギリスデビュー。
UKチャートは最高101位でした。
その後は、オーストラリア出身の歌手・カイリー・ミノーグさんらとヨーロッパツアーやアルバムの制作をしていましたが、1991年に湾岸戦争が勃発し、イギリスも途中から参戦したためレコード会社の判断で帰国しました。
女優デビュー
イギリスから帰国後、1991年10月放送のドラマ『小さな贈り物』(フジテレビ)でドラマデビュー。
1993年10月には『あすなろ白書』(フジテレビ)でメインキャストの東山星香を演じると、最高視聴率31.9%を記録。
鈴木さんも注目されブレイクしました。
1995年10月、音楽番組『ミュージックフェア』(フジテレビ)の6代目司会者に抜擢され、2016年3月に降板するまで、20年半に渡って務めました。
2006年3月には」ドラマ『相棒』(テレビ朝日)に犯人の月本幸子役でゲスト出演。
その後、同役で2度出演後、2012年1月から小料理屋『花の里』の2代目女将としてレギュラーとなり、2019年3月まで出演しました。
結婚や夫、子供
鈴木杏樹さんは1998年6月、28歳の時に13歳年上の医師・山形基夫さんと結婚。
馴れ初めは手術でした。
1998年1月、『ミュージックフェア』の収録中に鈴木さんが腸閉塞で倒れ、救急搬送先で緊急手術を担当したのが夫の山形さんでした。
メールで容態の相談しているうちに食事に行くようになり交際がスタート。
出会ってから6ヶ月、4ヶ月の交際期間で結婚しました。
しかし、夫の山形さんは内臓疾患を抱え、2012年末に移植のため渡米し、ボストンの病院に入院。
その後、手術前日に容体が急変し、日本時間の2013年2月1日に他界。56歳でした。
鈴木さんが山形さん危篤を知ったのは、日本テレビの『ZIP!』出演のため自宅を出る直前だったといい、番組出演中に意識がなくなったとの連絡があり、番組終了後から数時間後に亡くなったといいます。
亡くなる直前には意識のない山形さんに携帯電話で名前を呼びかけ「ありがとう」と伝えたそうです。
子供はいませんでした。