杉良太郎の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 杉良太郎 俳優

遠山の金さんの主演を務め、主題歌の「すきま風」もヒットした杉良太郎さん。
里親やボランティア活動をしてることでも知られます。
この記事では杉良太郎さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

杉良太郎の学歴

杉良太郎の学歴

小学校  神戸市立長田小学校
中学校  神戸市立西代中学校
高校   高浜海員学校
大学   進学していません

杉良太郎の小学校

杉良太郎さんの出身小学校は 神戸市立長田小学校

1944年8月14日、兵庫県神戸市長田区生まれ。本名は山田 勝啓(やまだ かつひろ)。
父親は兵庫県三原郡三原町(現・南あわじ市)出身、母親は鹿児島県徳之島出身。3人の姉がいる長男として誕生。姉とばかり遊んでいたので、子供の頃は気弱で大人しかったといいます。

父親は工務店を営み、芸事好きで「民衆座」という芝居小屋も開いていました。
杉さん幼少期から父親の小屋に入り浸り、どの公演がヒットするかや、どの役者が伸びるかなどを言い当てることが出来たそうです。
父親はお人好しで、頼まれれば何度でも借金の保証人にるような人で、母親は米びつに一握りしか残っていない米をお遍路さんにあげるような人だったといいます。

杉良太郎の中学校

杉良太郎さんの出身中学校は 神戸市立西代中学校

父親が保証人になって財産を失い生活が貧しく、中学生の時には早く両親を楽にさせてあげたいと思っていていました。
どうやったら貧乏から抜け出せるかを考え、船乗りになろうと思い、中学卒業後は船乗りを目指しました。

杉良太郎の高校

杉良太郎さんの出身高校は 高浜海員学校 (偏差値-)

愛知県高浜市にあった国立の船員養成学校で、1961年に静岡県静岡市清水区に移転し、現在は国立清水海上技術短期大学校になっています。

中学卒業後、船員を目指して入学しましたが、視力が悪かったことから断念し間もなく中退。
幼少期からのど自慢大会に出場するほど、歌好きだったので中退後は歌手を志し、神戸の歌謡学院に入学しました。
15歳の時には歌謡学院の先生に誘われて、刑務所の慰問を経験。
緊張から何を歌ったかは覚えていませんが、歌を聞いて受刑者が涙を流していた光景は覚えているといいます。

杉良太郎の経歴

杉良太郎のプロフィール

名前   杉良太郎
生年月日 1944年8月14日
出身   兵庫県神戸市
身長   178cm
血液型  O型
所属   杉友プロダクション

18歳の時に「ヒットすればお金が稼げる」と上京。
3畳1間のアパートを借り、週に2回の歌のレッスンを受けながら知人のカレー屋で無給で働き、3食カレーを食べて2年間過ごしていました。

『どんなことにも耐えられて歌手になれると思ったのです。』

無給で働いたのはあえてで、実家からの3万円の仕送りだけで2万円のは家賃も払い、生活していたといいます。
週に2回のレッスンはお金がなかったため、片道2時間の道のりを歩いて通いました。

1965年9月20日、21歳の時に『野郎笠』で歌手デビュー。
翌年の1966年には日活に所属し、渡哲也さん主演の『続東京流れ者 海は真っ赤な恋の色』で映画デビューしました。
1967年4月から放送されたNHKドラマ『文五捕物絵図』で主演を務める、1996年の大河ドラマ『天と地と』に織田信長 役で出演。
1970年公開の映画『花の特攻隊 あゝ戦友よ』で映画初主演を務めました。

以降はドラマを中心に活躍し、1975年10月からは時代劇『遠山の金さん』(テレビ朝日)で主演を務め最高視聴率25.1%を記録。
主題歌の『すきま風』はロングヒットとなり、累計100万枚を売り上げました。

歌手としては2023年10月の『花のふるさと』までで、65枚のシングルを発売しています。

杉良太郎のボランティア、里親活動

杉良太郎さんがボランティア、寄付活動を始めたのは、デビュー前の15歳の時に経験した刑務所の慰問がきっかけだったといいます。

『もともとデビューする5年前にやり始めたことなので、特に何かを意識して始めたわけではないんです。レッスンに通っていた盲目の歌の先生に誘われて、福祉施設や刑務所などを慰問し、歌をうたったのがきっかけでした。』

デビュー後も刑務所への続け、法務省から「名誉矯正監」を拝命しています。

2011年の東日本大震災ではトラック20台分の支援物資を送り、現地では2泊3日で4万食のカレーの炊き出しを行いました。

ベトナムと日本の親善のも長くたずさわり、日本語学校などの教育施設の設置、無償援助などを行い、1997年12月にはベトナム国家主席から友誼勲章(外国人に贈る最高位の勲章)を受章し、2019年10月には等級労働勲章を受けています。
ベトナムはで里親活動も行い、その数は2021年に152人と報じられています。

杉良太郎の結婚歴や妻、子供

杉良太郎さんには2度の結婚歴があります。
最初の結婚は1972年、28歳の時で、妻が26歳だったOLの信子さん。交際期間は7年だったと言われ、1970年には婚約をしていました。
離婚したのは結婚26年目の1998年。慰謝料は10億円以上だったとも言われています。

演歌歌手の伍代夏子さんと再婚したのは離婚の翌年の1999年。結婚時、杉さんは55歳、伍代さんは17歳年下で38歳、伍代さんは初婚でした。
伍代さんが踊りの師匠に、杉さんの公演を観に行くことを勧められて、楽屋の差し入れ行ったことで出会ったといいます。

子供は前妻との間に息子が1人と娘が2人の3人います。伍代さんとの子供がいません。
1973年2月14日に誕生した長男は、俳優の山田 純大(やまだ すみひろ)さんです。
アメリカの大学を卒業後、1997年に、NHK連続テレビ小説『あぐり』で俳優デビュー。
2016年8月のCS放送・時代劇専門チャンネルのトーク番組『杉良太郎「遠山の金さん」特別番組』で初の親子共演を果たしています。

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