東京都出身で落語家の春風亭小朝さん。
落語家に入門したのは高校在学中の15歳の時でした。
この記事ではさんの学歴、経歴、生い立ちや、落語家になったきっかけ、結婚や妻、子供などについて紹介しています。
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春風亭小朝の経歴・プロフィール
春風亭小朝の小学校 落語を1度聞いただけで覚える
春風亭小朝さんの出身小学校は 文京区立昭和小学校
東京都北区に生まれ。本名は花岡 宏行(はなおか ひろゆき)。兄弟はおらず一人っ子。
父親は作家の花岡太郎さん、祖父は土木会社を経営。
祖父の会社で乃木坂のアパートを建設し、父親が家主の時代には放送作家の永六輔さんや写真家の大竹省二さんなどが住んでいたといいます。
家庭は裕福でお坊ちゃんとして育ち、絵画やバイオリンを習っていました。
小学校は東京都文京区本駒込2丁目にある昭和小学校に入学。
両親が落語好きで、幼少期から父親の膝の上で寄席を聞き、最初は落語そのものよりも、着物や三味線などに興味をもったといいます。
落語のネタも1度聞くと頭に入ったといい、小学生を卒業する頃には百ぐらいの噺が頭に入っていたといいます。
春風亭小朝の中学校 演芸番組でチャンピオンを獲得
春風亭小朝さんの出身中学校は 文京区立第九中学校
東京都文京区本駒込3丁目にある公立中学校。
中学時代には百何十という噺を暗記していたといいます。
『これはもう“落語脳”があるに違いないと、自分でも確信してね。人間っていうのは、自分の得意なものを追求したくなる生き物でしょう? それで、落語を自分でもやってみようと思って、素人寄席という番組に出演したら、優勝したんです。』
中学1年生の時にフジテレビで放送されていた『しろうと寄席』に出演すると5週連続で勝ち抜きチャンピオンを獲得。
審査員だった8代目桂文楽さんにも褒められ「噺家におなんなさい」と声をかけられたといいます。
春風亭小朝の高校 15歳で落語家に入門
春風亭小朝さんの出身高校は 東京電機大付属高校 (偏差値62)
東京都小金井市梶野町4丁目にある」男女共学の私立高校。
出身者にはUFO研究家の矢追純一さん、俳優の堤大二郎さんなどがいます。
高校時代には落語研究家に所属し部長も務めました。
1970年4月、15歳の時に5代目春風亭柳朝師匠に入門。
昼間は高校に通いながら夜だけ寄せに通う生活を送り、高校卒業後に本格的に落語家として活動を始めました。
春風亭小朝の学歴
36人抜きで真打ち昇進
1976年7月、20歳の時に二つ目昇進。
新進気鋭の若手落語家としてマスコミの注目を浴びました。
その後、めきめきと頭角を現し、NHKの新人落語コンクールでは最優秀賞を受賞。
1980年5月、25歳の時に真打ちに昇進。
先輩の二つ目を36人飛び越しての大抜擢でした。
1980年から放送された『笑ってる場合ですよ!』(フジテレビ)ではレギュラーを務め、1984年には文化庁芸術祭優秀賞、1986年には芸術選奨新人賞を受賞。
俳優としても活動し、1987年から放送された時代劇『三匹が斬る!』(テレビ朝日)では三匹のひとりの燕陣内(たこ)役を演じ、1995年までレギュラー出演しました。
1994年4月からはバラエティ番組『ふるさと愉快亭 小朝が参りました』(HNK)に」司会を担当し、全国の中高年層からも支持を獲得。
舞台演劇にも進出し、2003年6月に新宿コマ劇場で上演された『恋や恋 浮かれ死神』では、落語家史上初となる座長公演を行いました。
結婚歴や妻、子供
春風亭小朝さんは1988年6月、33歳の時に6歳年下の泰葉さんと結婚。
泰葉さんは初代林家三平さんの次女で、弟には九代目林家正蔵さん、二代目林家三平さんがいます。
結婚時は歌手タレントととして活動していました。
仕事で出会い、仕事のことを泰葉さんから相談を受けたこときっかけで交際に発展し、3回目のデートで小朝さんからプロポーズして結婚しました。
しかし、結婚20年目の2007年11月に離婚。
子供はいませんでした。
離婚会見は2人で行い、会見場には金屏風が用意され、泰葉さんの弟の正蔵さんと、いっ平(現・2代目三平)さんも同席しました。
会見では「私、女将さん業ができない。迷いは無く、江戸っ子気質でスパっと言ってしまった」と話し泰葉さんから離婚を切り出したことを明かしました。
離婚後も同じマンションに住み当面は生活の面倒も見ると話し円満離婚を強調しましたが、翌年の2008年5月に小朝さんと事務所の女性との不倫疑惑が報道されると、それまで泰葉さんは小朝さんを「師匠」と呼んでましたが、「元パートナー」「アイツ」に変化し、2008年9月には自身のブログで小朝さんを「金髪豚野郎」と呼び炎上しました。
離婚後、小朝さんも泰葉さんも再婚はしていません。