東海林のり子の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 東海林のり子 アナウンサー・キャスター

フリーの芸能リポーターとしてワイドショーなどで活躍した東海林のり子さん。
大学卒業後はニッポン放送にアナウンサーとして入社しました。
この記事では東海林のり子さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

東海林のり子の学歴

東海林のり子の学歴

小学校  埼玉県師範学校附属小学校
中学校  埼玉大学教育学部附属中学校
高校   浦和第一女子高校
大学   立教大学

東海林のり子の小学校時代

東海林のり子さんの出身小学校は 埼玉県師範学校附属小学校

1934年、埼玉県浦和市(現・埼玉県さいたま市浦和地区)生まれ。実家は質屋を経営していました。
代々岩槻の藩士の武士の家系で、曽祖父が明治維新後の廃藩置県で、浦和に来て質屋を始めたそうです。
4人姉妹の末っ子で、両親、祖父母、お手伝いさんが同居していました。
家庭は裕福で娘1人づつに「ねいや」がついて面倒をみてくれていたといいます。
東海林さんの担当のねえやは「たけや」といい、当時、一緒に暮らしていた書生と恋仲になり、たけやさんは東海林さんをおんぶしながらデートしていたそうです。
歌舞伎好きの母親の勧めで、姉妹4人全員が踊りと長唄と習わされ、姉の1人は師匠になっています。
入学した埼玉県師範学校附属小学校は、現在は国立の埼玉大学教育学部附属小学校。、
小学6年生の時に終戦を迎えました。
疎開はせずに庭に防空壕を掘り、空襲警報が鳴るたびに、防空壕の中に逃げ込んでいたといいます。

東海林のり子の中学校時代

東海林のり子さんの出身中学校は 埼玉県師範学校附属中学校

埼玉県さいたま市にある国立学校で、現在の埼玉大学教育学部附属中学校。
中学時代はバレーボール部と水泳部に所属し、水泳では、当時の50メートル自由型で埼玉県記録を更新しました。

戦後も食料難で、お昼はサツマイモだけととういこともよくありましたが、母親はそんな時でも「今日のお昼はスイートポテトよ」と明るく言う人で、「スイートポテト」なんて言葉を使われると、同じサツマイモでも美味しく聞こえたといいます。

東海林のり子の高校時代

東海林のり子さんの出身高校は 浦和第一女子高校 (偏差値73)

埼玉県さいたま市浦和区岸町3丁目にある埼玉県立の女子校。
出身者にはアナウンサーの豊田順子さん、女優の山田杏奈さん(後に転校)などがいます。
高校入学後は憧れていたボート部に入りましたが練習が合わず退部。その後は長唄クラブに入部し卒業まで活動しました。

東海林のり子の大学時代

東海林のり子さんの出身大学は 立教大学 文学部英文学科 (偏差値62)

東京都豊島区西池袋三丁目に本部がある私立大学。
大学に入学した頃の将来の夢は、スチュワーデスか出版社で働くことでした。
大学時代は英語サークル「ESS」に所属し、英語劇をやっていました。

『ESSという英語劇をやるサークルで一緒でしたが、野際さんは美人だからいつも主役でした。』

1学年下には野際陽子さんがいて、「ノギ」「ノッコ」と呼びあう親友でした。
1957年に大学は卒業しています。

東海林のり子の経歴 ニッポン放送入社

東海林のり子のプロフィール

名前   東海林のり子
生年月日 1934年5月26日
出身   埼玉県さいたま市浦和
身長   151㎝
血液型  A型
所属   ミントプロジェクト

大学卒業後は、開局3年目だったニッポン放送にアナウンサーとして入社。
入社試験では2000人の応募に対して、採用は男女各4人ずつの狭き門で、8次試験まであったといいます。
入社後は音楽番組、ニュースのアシスタントなど様々な番組を担当。
1971年、入社14年目に2人目の出産を機にニッポン放送は退職しました。

芸能リポーターとして活躍

37歳の時に「情報番組のリポーターをやりませんか」と声をかけられ快諾。
最初の番組は夕方4時からの生放送の番組の「産地直送バーゲン」という企画で、地方の特産品を百貨店に仲介してもらい、団地の前に並べて売って生放送するというコーナーだったといいます。
その後は、芸能リポーターとして、『小川宏ショー』、『3時のあなた』、『おはよう!ナイスデイ』などのワイドショーで活躍。
『3時のあなた』の時に事件リポーターになり、リポーターとしての地位を確立しました。

『40歳のときにリポーターになって、60歳のときにリポーターをやめました。あっという間の20年間だったけど、常に真摯に事件や災害に向き合ってきました。』

1995年の阪神淡路大震災の現場での喪失感もあり、「もうこれ以上に悲惨な現場に出合うことはない」とリポーターを引退。
引退後はラジオ番組への出演や講演活動を行っています。

東海林のり子の結婚や夫、子供

結婚したのはニッポン放送入社3年目の1960年頃で、夫は大学の後輩で3歳年下の男性。

『彼は私がアナウンサーになった時、「見学させてください」とニッポン放送までよく遊びに来ていました。お父さんの車に乗って来て「送っていきます!」と言うものだから、これは楽だなと。』

同じサークルの後輩でした。
夫は営業マンでしたが、東海林さんが忙しい時は弁当を作ってくれたりと、家事や育児には協力的だったといいます。
子供は息子と娘の2人で、1968年に長男の健さん、1971年に長女の亜紀さんが誕生しました。

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