宍戸錠の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 宍戸錠 俳優

「エースのジョー」の愛称で悪役として活躍した俳優の宍戸錠さん。
若い頃に豊頬手術で受けたこと知られました。
この記事ではさんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

宍戸錠の学歴

宍戸錠の学歴

小学校  滝野川第三小学校
中学校  白石中学校
高校   白石高校
大学   日本大学

宍戸錠の小学校時代

宍戸錠さんの出身小学校は 北区立滝野川第三小学校

1933年12月6日、大阪府大阪市生まれ。兄2人、姉1人、弟1人の5人兄弟の三男。
父親は工作機械を扱う会社を経営、4歳年下の弟は俳優の郷鍈治さん。
「錠」の名前は宍戸家が子沢山のだったため、両親から「子作りに錠をかける」という意味で「錠」と名付けられたといいます。

父親は宍戸さんが生まれる前の満州事変の特需で、一生食べていけるほど儲ていたといい、大阪にビルを建てるなど生活は裕福でした。
宍戸さんが3歳に仕事を辞めて、東京都北区滝野川に引っ越し。
敷地1500坪ほどの家を建て、庭には竹やぶや池があり、茶室もあっていつも2人の女中ががいたといい、一家は東京でも裕福な生活を送りました。
小学校は東京都北区滝野川1丁目にある公立の北区立滝野川第三小学校に入学。
小学6年生の頃にに東京大空襲で敷地に焼夷弾が落とされて自宅が全焼。
その後、宍戸さんは集団疎開で宮城県斎川村(現・白石市)に疎開。
父親が来て再会した後は、父親が現地に家を建て、高校卒業まで生活しました。

宍戸錠の中学校時代

宍戸錠さんの出身中学校は 白石市立白石中学校

宮城県白石市南町1丁目にある公立中学校。

『白石という町は小さかったけれど映画館が二つあって、(悪ガキだったから)無料で入る方法をすぐ覚えちゃったね(笑)』

高校までは身長が152cmしかなかったこともあり、いじめられることもあったといいます。、

宍戸錠の高校時代

宍戸錠さんの出身高校は 白石高校 (偏差値48~55)

宮城県白石市八幡町にある男女共学の宮城県立高校。設置学科は普通科と看護科。
出身者には俳優の渡辺健吉さん、ピン芸人の大門与作さんなどがいます。

高校時代は演劇部とバスケットボール部に所属。
高校2年生まで152cmでしたが、高校3年生の急激に身長が伸びて175cmになり、いじめられることはなくなり、逆にケンカが強くなったといいます。
演技に興味を持ったのは子供の頃よく見ていた紙芝居がきっかけで、その後、映画好きになり、高校時代には芝居の道に進もうと思っていました。

宍戸錠の大学時代

宍戸錠さんの出身大学は 日本大学 芸術学部演劇科 (偏差値58)

東京都千代田区九段南四丁目に本部がある私立大学。
高校時代には早稲田大学で演劇をやろうと受験しましたが失敗、日本大学芸術学部に進学しました。
大学時代には父親が浅草の芸者のところに入り浸っていて、宍戸さんはそこの台所横の2畳ほどのスペースで生活していたといい、その時に

『よし、映画スターになってやる』

と思ったといいます。

大学2年生の時に日活ニューフェイスの1期生募集を知り応募。8000人の応募者の中から25人の合格者に入り、大学は中退。
1954年、日活ニューフェイスの第1期生として入社しました。

宍戸錠の経歴 エースのジョーの愛称で活躍

宍戸錠のプロフィール

名前   宍戸錠
生年月日 1933年12月6日
没年月日 2020年1月18日(86歳没)
出身   大阪府大阪市
身長   174cm
血液型  B型
所属   宍戸錠事務所

1955年、森繁久彌主演映画『警察日記』の藪田巡査役で俳優デビュー。
当初は正統派の二枚目役を演じていましたが、海外映画の悪役が主人公の映画を見て憧れ、1956年にトレードマークとなる豊頬手術を2度受け、悪役に転向。
以降は小林旭さん主演『渡り鳥』シリーズでのきざな殺し屋など、アクション映画の敵役で活躍。
トランプを趣味としていたことから「エースのジョー」と呼ばれ、人気を博しました。

俳優としてだけでなく、バラエティ番組『巨泉・前武ゲバゲバ90分!』(日本テレビ)のレギュラー出演や、『くいしん坊!万才』(フジテレビ)の4代目リポーターを務めるなどタレントとしても活躍しました。

『理由の一つに、僕は70歳を前にして普通のジジイの顔になりたくてやっただけ』

2001年に豊頬の際に注入された異物(オルガノーゲン)を取り除く摘出手術を44年ぶりに受けました。
入れていたオルガノーゲンは石灰化していて、メスを入れるのも大変な状態になっていたといいます。
2013年2月4日、1966年に建築した自宅が全焼。翌月からは賃貸マンションで生活しました。

結婚歴や妻、子供

1962年に元女優で1歳年上の游子(ゆうこ)さんと結婚。

『宍戸さんの妻游子さんも元女優。』

游子さんの本名は昌子で、結婚後はエッセイストとして活動しました。
2010年、游子さんはがんのため77歳で他界しています。

子供は娘が1人と息子が2人の3人で、1936年8月の長女の史絵(ふみえ)さん、1966年9月に長男の開(かい)さん、1968年12月に次男の表(ひょう)さんが誕生しています。
長女は紫しえの名前でエッセイストとして活動。
長男の宍戸開さんは俳優、タレントをしています。
2010年に開さんが挨拶もなく結婚し、その事実をテレビの報道で知ったことから、礼儀に厳しい錠さんは「結婚するのに親に挨拶もないのか!」と怒り、以降は開さんとは絶縁状態になり、亡くなるまで関係が修復されることはなかったといいます。

死因や晩年

2010年に妻と死別し、2013年に自宅が全焼して以降は賃貸マンションで1人で暮らし、コンビニで買い物をする姿が目撃されていました。
週に2、3回は長女が食事を届け、身の回りの世話をし、週に1度はは長女家族と食事を共にしていたといいます。
2020年1月18日、虚血性心疾患のため東京都内の自宅で死去。86歳でした。
その日に自宅を訪ねた長女が宍戸さんが倒れているのを発見し、警察や救急隊により死亡が確認されました。

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