忍風戦隊ハリケンジャーのカブトライジャー役を演じた純烈の白川裕二郎さん。
元力士で相撲部屋に入門していました。
この記事では白川裕二郎さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
Contents
白川裕二郎の学歴
白川裕二郎の小学校
白川裕二郎さんの出身小学校は 不明
1976年12月11日生まれ、神奈川県横浜市港北区出身。両親と7歳年上の姉の4人家族。母親が43歳の時の子供でした。
父親は小さな会社を経営、母親は小学校の教師で両親は共働き。
忙しかったため家族4人で食卓を囲んだ記憶は少なく、運動会に家族が来れたことはほとんどなかったといいます。
父親は小学6年生の時に肺がんで他界、以降は母子家庭で育ちました。
幼少期から両親の影響でテレビで相撲を見ていて、当時全盛だった千代の富士が小さい体で大きな力士を上手投げなどで勝つのを見て、小学生の時にちびっこ相撲を何度か経験しました。
白川裕二郎の中学校
白川裕二郎さんの出身中学校は 横浜市立新田中学校
中学時代は柔道部に所属していました。
両親が共働きで、姉をは7歳離れていたことから実家ではひとりで食事を食べることもよくあり、中学生の頃にはチャーハンや味噌汁など簡単なものは作れるようになっていたそうです。
中学生の時で身長は178cmありましたが、体重は58kgの細身でした。
白川裕二郎の高校
白川裕二郎さんの出身高校は 新栄高校 (偏差値46)
神奈川県横浜市都筑区新栄町にある男女共学の神奈川県立高校。設置学科は普通科のみ。
出身者には元サッカープロサッカー選手の飯尾一慶さん、女優の渋谷桃子さんなどがいます。
高校時代はバレーボール部に所属していました。
『バストの上が欲しかったんです。胸が薄かったので』
高校に入学後、「細い」と言われたことから筋トレを始め、高校3年間でずいぶん筋肉ついたといいます。
白川裕二郎の経歴 相撲部屋に入門
白川裕二郎さんが力士になったきっかはスカウトでした。
『柔道の道場に通っていたときに、併設された治療院でスカウトされたんです。』
高校卒業に中学時代にやっていた柔道をまたやりたくなって柔道の道場に通い始めた時に、相撲部屋のおかみさんにスカウトされたそうです。
早く関取になって母親を喜ばせたいとの思いから、1995年に朝日山部屋に入門。
入門時は身長183cm、体重72kgで、新弟子検査の時には当時の基準75kgに達していなかったため、ペットボトルの水を2リットルくらい飲んで合格したそうです。
入門後は、朝早くから起きて兄弟子の身の回りの世話をしたり、ちゃんこを作ったりして雑用はいろいろ大変でしたが、部屋は和気あいあいだったといいます。
1995年9月場所に本名の白川という四股名で初土俵を踏み、1996年7月場所より四股名を「綱ノ富士」に改名。
四股名は出身の横浜市綱島と、憧れの力士だった千代の富士からとって自分で考えたそうです。
力士時代は毎日ご飯を一升j食べて、体重は105kgまで増えました。
元々持病で腰が悪く、稽古でさらに腰に痛みが走るようになり、1996年9月場所を最後に入門1年で引退。
力士時代の成績は16勝12敗14休。最高位は東序二段99枚目でした。
力士を引退後はアルバイト転々としていました。
ハリケンジャーで俳優デビュー
白川裕二郎さん俳優デビューしたきっかけは、母親が送った「劇団俳優座」のオーディションでした。
『目標を見失っていた僕を見かねたのか、お母ちゃんが書類を送ったのが古谷一行さんや仲代達矢さんなど錚々たるメンバーを輩出した「劇団俳優座」でした。』
アルバイトを転々とする中、母親が息子にやりがいを与えたいと送った劇団のオーディションに合格。
2002年にスーパー戦隊シリーズ『忍風戦隊ハリケンジャー』の霞一甲 / カブトライジャー役として俳優デビュー。25歳の時でした。
「イケメンヒーローブーム」の担い手となり、その後もテレビドラマを中心に舞台などでも活躍しました。
純烈で歌手デビュー
『百獣戦隊ガオレンジャー』にレギュラー出演した経験を持つ酒井一圭さんに誘われて、2007年にムード歌謡コーラスグループ・純烈を結成。
酒井一圭さんは映画『クラッシャーカズヨシ』の撮影中に事故で入院した際に、何度も夢に内山田洋とクールファイブが出てきたため何らかの啓示かもしれないと考え、ムード歌謡コーラスグループを結成することを思い立ったといいます。
『僕は本来、安パイを取るタイプでレールがあったらそこからはみ出るのが怖いんです。でもその時は燻っていたし、ここで行動を起こさなかったら失敗、後悔するんじゃないかという思いがあった。だから、純烈は僕にとって人生で唯一の博打だったんです。』
真剣な眼差しで熱く語る酒井さんの話を聞き、「この人に賭けたら当たるんじゃないか」と思い参加。スローガンは「親孝行、紅白歌合戦出場、全国47都道府県で唄うこと」を掲げました。
3年のボイストレーニング、下積みを経て。2010年6月に『涙の銀座線』でメジャーデビューしましたが、2012年には契約打ち切り。
以降は歌える場所を求めて、健康センターやスーパー銭湯などで地道に営業活動を続けて知名度を上げ、2016年5月に発売した7枚目のシングル『幸福あそび』がオリコン演歌・歌謡曲ウィークリーチャートで初の1位を獲得。
「スーパー銭湯アイドル」としてテレビで番組で取り上げられ注目を浴び、2018年に第69回紅白歌合戦に初出場を果たしました。
白川裕二郎の結婚歴や妻、子供
白川裕二郎さんは2011年頃に結婚。35歳の頃で妻は1歳年下の一般女性。
結婚は当初は発表されず、結婚していたことが報じられたのは8年後の2019年でした。
子供はいないようです。