清水よし子(ピンクの電話)の学歴・経歴・生い立ち〔大学 高校 中学校 小学校〕

学歴 清水よし子 芸人

お笑いコンビ「ピンクの電話」でボケ担当で甲高い声が特徴の清水よし子さん。
この記事では清水よし子さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。

 

清水よし子の学歴

清水よし子の学歴

小学校  不明
中学校  不明
高校   大阪信愛女学院高校
大学   大阪信愛女学院短期大学

清水よし子の小学校・中学校時代

清水よし子さんの出身小学校・中学校は 不明

1958年6月29日生まれ、大阪府出身。
実家は神戸にあるようです。
子供の頃は人見知りが激しい性格で、外出する時ににはいつも母親の後ろに隠れていたといいます。
小学生の時は学年で2番目に身長が大きく、運動が得意でした。

中学時代は陸上部に所属。種目は100mと走り高跳びと砲丸投げで合計得点で競う三種という競技で、放送陸上という大会で大阪府5位に入賞したことがあるといいます。
初交際は中学のサッカー部の人気者男子で、相手からの連絡で付き合いましたが、手も握らない交際だったそうです。

清水よし子の高校時代

清水よし子さんの出身高校は 大阪信愛女学院高校 (偏差値48~57)

大阪府大阪市城東区古市二丁目にある私立の女子校。
設置学科は普通科のみですが、特進コース、看護医療コース、総合進学コースに別れています。
キリスト教系の学校で、1859年に創立した歴史ある学校。出身者には料理研究家の小林カツ代さん、元タレントの金子美保さんなどがいます。
高校時代は演劇部に所属。部は上下関係が厳しかったといいます。

清水よし子の大学時代

清水よし子さんの出身大学は 大阪信愛女学院短期大学 (偏差値48)

大阪府大阪市城東区古市に本部があった私立短期大学。
2024年に閉学しました。
短大卒業後は女優を目指して両親の反対を押し切って上京。
会社に就職し経理を担当。転職は何度かしており、失業保険で生活をしていた時期もあったといいます。

清水よし子の経歴 ピンクの電話を結成

清水よし子のプロフィール

名前   清水よし子
生年月日 1958年6月29日
出身   大阪府
身長   163cm
血液型  A型
所属   石井光三オフィス

「劇団俳小」を経て、1984年にオーディションに合格し「劇団七曜日」に1期生として入団。
「劇団七曜日」は石井光三さんとント・レオナルドのレオナルド熊さんが旗揚げしたコメディ劇団で、コント赤信号のメンバーや近藤芳正さん、竹内都子さんらが所属していました。

自分がお笑いやるなんでことが考えていませんでしが、入団して1年ほど経った時に石井光三さんに、

『ドラマでセリフのある役をもらえるとは限らへん。けどな、お笑い番組やったら(オーディションを通れば)6分間、主役でテレビに出られるぞ』

と勧められ、1986年に同じ劇団の竹内都子さん、田中尚子さんと3人でコントグループ『大阪シスターズ』を結成。
結成後間もなく、田中さんが脱退したため、竹内さんとコンビになり『ピンクの電話』に改名。
『ピンクの電話』の名付け親は渡辺正行さんでした。
毎月、渋谷のライブハウス「ラ・ママ」で開催される「ラ・ママ新人コント大会」でネタ見せを繰り返して経験を積み、『ザ・テレビ演芸』(テレビ朝日)で9週勝ち抜きし、「デブと痩せの凸凹コンビ」として人気を獲得。
特に清水さんの独特の甲高い声は、お茶の間に広く浸透しました。
1998年に深夜のコント番組『笑いの殿堂』(フジテレビ)でウッチャンナンチャン、爆笑問題らと共にメインキャストとして出演。
以降は数々のバラエティ番組で活躍しました。
その後はコンビは解消していませんが、共に結婚し、現在は個別活動をメインに活動しています。
料理上手で『いきなり!黄金伝説。』(テレビ朝日)の企画「一ヶ月一万円生活」に出演した時いには数々のイデア料理を披露しました。
2017年にはコンビ結成30周年を迎え、その記念に渋谷La.mamaにて久々にコントを行いました。

結婚や夫、子供

清水よし子さんは1992年6月、34歳の時に、出版社社長の浅田正行さんと結婚。
浅田さんが社長を務める第一出版社は当時、年商10億円をも言われ、「玉の輿」と話題になりました。
子供は娘が1人で、1995年頃に誕生。2017年には大学を卒業し就職しています。

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