バラエティ番組『夢で逢えたら』で「伊集院みどり」のキャラクターがブレイクした清水ミチコさん。
ピアノの弾き語りモノマネなどのモノマネを得意とし、元祖モノマネ女王とも称されました。
この記事では清水ミチコさんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
清水ミチコの学歴
清水ミチコの小学校
清水ミチコさんの出身小学校は 高山市立南小学校
岐阜県高山市生まれ。実家は高山市内で『清水屋商店』という果物やお菓子などを販売する店を経営。贈答用品として当時めずらしかったモロゾフやメリーのチョコレートなども置いていたといいます。
小学4年生の時に、ジャズ喫茶が流行りだすと、ジャズバンドにリーダーだった父親は、ジャズ喫茶「イフ」の経営を始め、その後はパスタ屋、弁当屋なども経営。
喫茶店は現在if(イフ)珈琲店の店名で、11歳と年下の弟が継いでいます。
幼稚園の頃からおもちゃのピアノで練習し、独学でピアノを弾けるようになりました。
実家がジャズ喫茶で、家族は店の上に住んでいたので、聴こえてくるのはモダンジャズで、小学生の時に初めて買ってもらったレコードはアメリカのロックバンド・ザ・モンキーズの『モンキーズのテーマ』だったといいます。
清水ミチコの中学校
清水ミチコさんの出身中学校は 高山市立松倉中学校
中学時代は卓球部に所属。
初めてモノマネをしたのは卓球部の先輩で、周りにはすごく受けたそうです。
その後、桜田淳子さんや山口百恵さんのモノマネもやり、卒業式の時には後輩の女の子が2人で、清水さんのとこえに来て泣きながら、
『最後に、山口百恵と桜田淳子のモノマネ見せて下さい』
と言われ、ファンがいたことに驚いたそうです。
清水ミチコの高校
清水ミチコさんの出身高校は 高山西高校(偏差値56)
岐阜県高山市下林町にある男女共学の私立高校。
出身者には俳優の冨田佳輔さんなどがいます。
高校時代は百人一首クラブに所属。
特に好きだったわけではなく、担当の古文の先生がおじいさんだったので、仲良しグループでサボれると思い入部したそうで、クラブではたまにカルタをやれば、あとはずっとしゃべっていても怒られることはなく、大好きな時間だったといいます。
高校生時には実家は喫茶店3件とスパゲティ屋も経営していて、高校1年生から、実家の喫茶店でアルバイトもしていました。
清水ミチコの大学
清水ミチコさんの出身大学は 文教大学女子短期大学部 家政科(偏差値42)
神奈川県茅ヶ崎市行谷にあった私立大学。1953年に設置され、2012年に閉校になっています。
家政科を選んだのは、『将来は店を継ぐんだろうな』と思っていて、調理の基礎を勉強すれば、実家の店のメニューを増やせそうだ思ったからだといい、店がつぶれた時のために中学校の家庭科の教員免許も取得しました。
調理実習でショートケーキを作った時に、『誰でも手作りでできるんだ』と感動したことがきっかけで、ケーキ屋でアルバイトを始めてパティシエを志し、いくつかのケーキ屋でパティシエの修業もしていたといいます。
清水ミチコの経歴
短大時代にラジオ番組にネタを投稿していてよく採用されていたといい、短大卒業後は昼間はパティシエの修業をしながら、夜は雑誌に原稿を書いて投稿したり、ラジオ番組にネタを投稿していました。
そのことを知ったアルバイト先の人が、親戚のラジオディレクターと紹介してくれて、1983年10月からラジオ番組『クニ河内のラジオギャグシャッフル』(RKBラジオ)に放送作家兼出演者となりました。
ラジオ番組に出演したことで、何がウケるのかがわかり、ネタも増えてきたことから、当時渋谷にあった小劇場『渋谷ジァン・ジァン』の新人オーディションに応募すると合格。
1986年、26歳の時に初の単独ライブを行い、本格的に芸能界デビューしました。
ライブは回を重ねるごとに観客は増え、やがてテレ関係者の目に留まり、注目の新人を紹介する深夜番組『冗談画報』(フジテレビ)に出演。
1987年からは『笑っていいとも!』(フジテレビ)にレギュラー出演し、1988年にはウッチャンナンチャン、ダウンタウン、野沢直子さんと共演した『夢で逢えたら』(フジテレビ)が放送開始。
当初は深夜2時過ぎからの放送だっため、初回は視聴率0.5%でしたが、徐々に人気となり5%を超え、全国ネット化してからは深夜番組としては異例の最高平均視聴率20.4%を記録。
清水さんは『伊集院みどり』のキャラクターでブレイクしました。
清水ミチコの夫と子供
清水ミチコさんは1987年にラジオディレクターの坂田幸臣さんと結婚。
坂田さんが清水さんのラジオ番組を担当したことで出会いました。
現在は清水さんの個人事務所の社長を務めているようです。
子供は娘が1人で、1988年5月に誕生。は2021年に結婚したことを明かしています。